昨年の夏も大変な暑さでした。今年はさて、どんな夏になるのでしょうか。できれば、平年並みの暑さでほどよく夕立があって、西瓜を美味しく食べたいといったところでしょうか。
真夏、じりじりと照りつける太陽とアスファルトの照り返しに打ちのめされそうになってたどり着いたお寺。
座敷に通されると葦障子に籐網代の敷物、蚊取り線香の匂いがしていました。エアコンではない自然の風が通っていきます。冷房の効いた室内ですうっと汗が引くという快適さはないのですが、しばらくすると暑いなりに気持ち良くなってきました。ゆっくりゆっくり体の熱が収まる感じ。
床の間には墨をたっぷりと含ませて一気に書かれた瀧のくずし字の軸が架かっています。長い紙に書かれた長―い瀧がたった一文字。豪快な瀧の字は岩の上からどっと流れ、飛散した墨の跡は水の飛沫に見えてきました。その足元には緑青を帯びた経筒に小ぶりの蓮が活けられています。何とも涼しげ。真夏の昼下がりですから、暑いのは暑いのですが、清らかな心持になってしまいました。エアコンでは味わえない涼やかさでした。
そこで本物の瀧。木々を渡る風、水音、鳥声…。山道を歩いて瀧にたどり着くと生き返ります。数年前のこと、川上村の大天井瀧へ取材に行った時のことです。カメラマンとアシスタント、それに私の三人です。天川村の洞川へと続く五番関トンネル手前の林道脇にある瀧には誰もいませんでした。そうそう、季節は夏。大峰山系のひとつである大天井岳の麓にあります。標高1080bにある瀧は、落差が約40b。三段になって落ちる段瀑と呼ばれるものでした。下界の暑さが嘘のような冷たい空気が流れています。林道の近くとはとても思えない静けさ、清らかさ。深い山に分け入って見つけたような気持ちになりました。
カメラマンとアシスタントは撮影ポイントを探しまわっていました。私は近くの木が丁度少し傾斜していたのをいいことに寄り掛かって、二人の姿をみていたのですが、あまりの気持ち良さに、立ったままうつらうつら。どの位そうしていたのでしょう、名前を呼ばれて我に返りました。「は、はいっ」と答えると「どこにいたんですか、探しました」と言われてしまったのです。「ずっとここに…、すみません」と小さな声で答えながら、「どこからでも見えるが諸だったのにどうしてだろう」と不思議でした。車に乗っての帰り道、「何か探しに行ったのか、人目を避けてトイレにでも、って心配していたんですよ」と言われ再び「ずっと…」と答えましたがどうも本気にしてくれません。数日して友人にこの話をすると「へぇ、もしかすると木と同化していたのかもね」と言うのです。私ももしかするとそうかも知れないとおもいました。あの気持ちの良さは今でも覚えています。頭の中のいろんなことがすうっと木に吸い取られていくような、力が抜けていくような。ちょっと不思議な体験でした。
後日、友人と二人、もう一度体験しようと行きましたが、うまくはいきません。意識はずっとはっきりしたまま。バトンタッチして友人が寄り掛かってみましたが、これもだめでした。何か自然の扉があって、たまたまその時に開いたのでしょうか。瀧にはそんな人を惹きつけるようなものがあるのでしょうね。
奈良にはずいぶんたくさんの瀧があるようです。特に奥吉野と呼ばれる深い山には大小さまざまな形の瀧があり、歴史の中に登場するのもあるほどです。
奈良市内から行きやすいところといえば春日奥山の鶯瀧でしょうか。奈良市の東にひときわ美しい稜線を描く春日山。春日大社背後の山の総称ですが、もともとは東の花山や芳山も含められていました。平城京の昔から都人にとっては散策地として親しまれており古歌にも数多く歌われています。春日大社の神域であったことに加え、承和8年(842)に仁明天皇の時に狩猟、伐採が禁止されたために原始林となり、国の特別天然記念物になりました。
古来、信仰の場でありましたからほとんど斧を入れることがなかったために原始林を形成できたのです。もっとも秀吉は約1万本の杉を伐りだしたといわれています。それに台風などの災害での倒木もあり、その時は在来の木を植えるなどして原始の姿を留める努力が重ねられてきた側面も忘れてはならないでしょう。都会の間近にこれほどの原始林を持つことは奇跡のような幸せです。標高498b、面積は約250fにも及びます。森の中ですが散策道として整備されていますからおすすめの場所です。鬱蒼とした森の中は巨木が枝を差し交して、真夏でも直射日光が届かないほど。そんな道筋にあるのが鶯瀧。道から道標にそって下っていくと水音がだんだん大きくなっていきます。足元にはせせらぎとも言えないような小さな水が湧いては流れていきます。森に降った雨は木々の葉を濡らし、散り敷いた落葉の深々とした地面にしみこみ、時を経て地表に清らかな水脈となって現れるのです。そんな小さな水が集まって、岩の段差を流れ落ちる瀧。
滝壺の近くで清らかな水で手を洗い、足を浸していると暑さもすっと引いてしまいます。かつては近くに茶屋もあったそうですが、今は昔。マイナスイオンに包まれて、リフレッシュしたら、原生林の道へ戻ってみましょうか。鶯瀧の名前は水音が鶯の鳴き声に似ているから、という説をききましたが、はてさて。私には鶯には思えませんでしたが…。強いて鳥の鳴き声でいうならヒヨドリかなぁ。
そういえば、若草山山頂にはうぐいす塚古墳がありました。清少納言の「枕草子」にも名前が出てくる“うぐいすの陵”です。5世紀初めの古墳で仁徳天皇皇后の磐之媛命の陵とも考えられていたとか。その“うぐいす”と何か関係があると面白いですね。
次にご紹介するのは天理市にある桃の尾の瀧です。石上神宮から東に約q、布留川の上流にある瀧です。古くから修験道の行場として知られており、古今和歌集では後嵯峨天皇や僧正遍照が「布留の滝」と詠んでいます。明治時代に廃絶されるまでは桃尾山蓮華王院龍福寺という密教寺院の境内地だったとか。また、石上神宮の元宮であったとも伝わる由緒ある瀧は落差が23bと春日断崖層の中では最大です。
滝壺の左側には鎌倉時代中期の作という不動三尊磨崖仏や間\南北朝時代前期とされる如意輪観音と不動三尊の石仏などがありますから、瀧と歴史と石仏めぐりも楽しめる場所としておすすめです。
毎年7月の第3日曜日には滝開きの神事が行われます。今年は20日になります。
最後は宇陀市室生区にある龍の瀧。室生寺から室生川沿いに1qほど上ったところに龍穴神社があります。ご神体は龍穴。岩すそには黒々とした穴が口を開けています。注連縄の張り渡された穴は魔界の入り口といった雰囲気で、龍が棲むにふさわしい感じがします。徳川綱吉の生母である桂昌院が帰依し、復興に力を尽くしたことから女人高野とも呼ばれるようになった室生寺は古くから信仰されてきた龍神に仕える寺として宝亀9年(778)から延暦12年(793)の間に建立されたといいます。つまり、龍穴神社は室生寺より古く、龍穴神社の神宮寺であったとか。
室生火山群が造り上げた岩はまるで芸術のようです。龍穴もその産物の一つでしょう。中国では皇帝の象徴ですが日本では水と豊作の農業神の性格も持っています。ここでは度々雨乞いがおこなわれました。弘仁8年(817)の記録が最初で国家的な崇敬を集めた祈りは幾度となくおこなわれたようです。巨大な岩のうねりの上を流れ落ちる水は、龍穴の暗く恐ろしげな雰囲気とは逆に秀麗で美しく、その対比が印象的。かつては紅蓮の炎をあげて流れた岩は今、清冽な水が飛沫をあげています。まるで滑るように。
今年の夏、瀧を訪ねてみてはいかがでしょうか。