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歩く行と籠もる行
山伏の行には山中を歩きまわる行と山中に籠もる行のふたつがあるそうです。大峯山にもたくさんの岩窟があり、古くから多くの修行者が籠もって修行を行いました。その中で最も有名なのが笙の窟。奥駈道を和佐又山の方へ3kmほど下りた断崖の下にある洞窟です。晦日山伏という年越しの修行や一冬を過ごす場所としても知られる所ですが、こんな山深い洞窟で一人籠もる行のなんと厳しいことでしょうか。高僧として有名な日蔵道賢もやはりここで修行をしたそうですが、「寂寞の岩の岩屋のしずけきに 涙の雨の降らぬ日ぞなき」という歌を残しています。修行を積んだ高僧も心細さに涙したというのですから、山の岩窟で過ごす冬はどれほど辛いものでしょう。修験道のコースではありませんが、ここには立ち寄る人も多いようです。修験の人々は笙の岩窟へ向かって遥拝、勤行を行います。
弥勒岳あたりから大普賢岳を眺めると、三山が御伽噺に出てくるような形で重なりあっているのが見えます。このあたりは薩摩転(ころ)げ、内侍落としなど難所が続きます。岩場のちょっとした足がかりを頼りに歩くには、地下足袋が威力を発揮します。登山靴では微妙な感触が分からないし、足がかりがつかめないからです。岩場にハーケンを打ち込んで登る西洋的な登山とは違って、自然の中で山と一体化しようとする修験の違いかも知れませんね。
午前8時30分頃稚児泊に着くとやっと大休止です。ここでお弁当の半分ほどをいただき、腹ごしらえ。大人数で休める平坦地があるのはここしかありません。山上ヶ岳で作ってもらうお弁当は典型的な日の丸弁当。梅干が真ん中、四隅に漬物があるというだけ。体が疲れているのと喉が渇いて、それほど食べることができないそうです。半分をここで食べ、お昼に着く行者還岳で残りをということになります。
七曜岳には尾根道に沿って念仏橋が架けられています。もしも、この橋が無ければどこを歩いたらいいのやら、というほど危険な道です。昔の人はどうしていたのでしょうね。行者還岳で勤行を済ませ、道を下りますが、気候によっては霧が出て幻想的な風景になります。まるで夢の中を歩いているようですが、ここではぐれると大変です。山の道は濡れていることが多く、木でできた段の道や木の根では何度も転びそうになります。杖を頼りに歩くことになります。
一気に下ると行者還宿に到着。ここでお弁当の残りを食べます。水場があるにはあるのですが、涸れていることが多いようです。岩の間からぽたり、ぽたりしみ出るのを集めるといった具合なので、行者雫水と呼ばれています。今年は雨や台風が多かったので珍しくたっぷりの水でした。年によってペースが違うので休憩時間で調整されます。何しろ日没までには宿に着くようにしなければなりませんから。雨が多い年はやはり大変だそうです。すっかり濡れた衣服は、一晩では乾きませんから、翌日、濡れたものを着ることになるのです。「寝る時のために一枚だけは濡れないようにするのですが、朝起きて濡れたものを着る時は辛い」と松井さん。午前3時の起床以来、ここでゆっくりと休憩し、食事もいただきます。さて、これからもまだまだ修験の道は続きます。
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