去年の夏は本当に暑く、しかも長く続きました。夏に疲れるほど。今年の夏はエルニーニョの影響で冷夏かも知れないといわれていますが、さて、どうでしょうか。例年のように普通に暑い夏、普通に寒い冬が一番いいですね。
6月は水無月ともいわれますが、文字とは裏腹に梅雨の頃。たっぷりの雨の季節です。鬱陶しい日々の中に楽しみなのが紫陽花と蛍ではないでしょうか。かつてはどこにでもいた蛍もわざわざ探しに行かなくては出会えません。奈良では柳生や室生が良く知られています。この日にならと選んで行ってもなかなか会えないこともあります。蛍の勤務状況は計り知れないもの。
ほのかに点滅する蛍の明かりはしみじみ心に響きますね。蛍の語源は“ほ”(火)が垂れる火垂るからとも星垂るともいわれます。いずれにしても何かロマンティック。漢字の意味では松明を交差させることからきていると字統(白川静)には記されています。
日本の書物に出てくる蛍は日本書紀が最初。巻2に天照大神の孫である瓊瓊杵尊を葦原中国の主にしたいと思ったけれどそこには「彼地多有蛍火之光神及蠅聲邪神」(蛍火のように光る神や蠅のように騒がしいよこしまな神がいる)と記されているのです。ここでは、蛍の火のように怪しいということ。あまり蛍への印象は良くないというか、結構悪印象だったのでしょうか。古代の夜は全くの闇。漆黒の暗闇は魑魅魍魎がうごめく恐怖の時間だったことでしょう。そこに蛍。環境汚染もありませんから群舞していたのだろうと思われます。煮炊きや防寒、獣を防ぐなど火は重要なものでした。家の中で火を絶やさないことは、大きな仕事だったといいます。そんな火が突然湧くように出てくるのですから、まさに邪悪な神だと感じたのでしょう。しかも燃えない、冷たい火。古代人になって感じると震えるような恐怖だったに違いありません。
さて、そんな神話の時代から人間讃歌の万葉集になるとどうでしょう。蛍は身近だと思うのですが、全4516首の中で蛍を詠んだのはたった一首。
「この月は君来まさむと大船の
思い頼みていつしかと 我が待ち居れば 黄葉(もみぢば)の過ぎてい行(ゆ)くと
玉梓(たまづさ)の使の言へば蛍なす
ほのかに聞きて大地(おほつち)を
ほのほと踏みて立ちて居て
ゆくへも知らず」
巻13−3344 作者未詳
(今月こそは あなたがお帰りになるだろうと大船に乗ったつもりで安心して待っていたのに「あのお方は、紅葉が散るように亡くなってしまわれました」なんて、まるで蛍がちらっと光ったような言い方で使いの人が言いました。そんな蛍火のようなぼんやりとしたことだけで、どうして信じられるでしょう。 大地に地団駄踏んで、立ったり座ったりして途方にくれてしまいます)
防人として旅だった夫はこの月には帰ってくるだろうと安心して待っていたのに紅葉が散るように亡くなってしまったなんて。蛍の明かりのような頼りない話を信じられない思いで聞いて、地団太を踏み、駆け出したいけど。と押さえられない悲しみと怒りに涙も涸れて途方にくれている女。なんと辛い歌でしょう。蛍はぼんやりとした、というような意味で使われています。怪しいから頼りない、ぼんやりしたものと捉えられているようですね。蛍を風流なもの、情緒のあるものとして愛でるようになったのは平安時代から。王朝人は蛍を憧れや抑えられない恋心の象徴としていきますが、万葉時代はその橋渡しの時代といえそうです。
平安貴族は蛍を歌や文章に取り上げました。伊勢物語、宇津保物語、枕草子、源氏物語などに重要な存在として出てきます。
伊勢物語では45段に「ゆく蛍雲の上までいぬべくは 秋風吹くと 雁に告げこせ」
という歌が出てきます。「むかし男ありけり」で始まる物語は平安時代のプレイボーイとして知られる在原業平が書いた歌が散りばめられたお話しです。45段の話は親に慈しまれて育った娘が病気になります。親は手を尽くしますが、悪くなるばかり。いまわの時になって娘は恋煩いであると告げます。急いでその男を連れてきますが、娘は息絶えた後でその男も思いに沈んでしまうのでした。頃は6月の末、とても暑い季節でしたがふと涼しい風が吹き、一首詠んだのがこの蛍の歌。蛍には亡くなった娘の魂が象徴されているようです。天上へ行ったら、秋になったと伝え、雁になった戻っておいでという意味にもとれます。
好きな人がいることをだれにも打ち明けられずに恋煩いの果てに死んでしまうとは、今では考えられない事態です。今からみると何と奥ゆかしくも悲しいことでしょう。
男は「暮れがたき夏の日暮らしながむれば そのこととなく ものぞ悲しき」と娘を追慕するのです。
ウイットに富んだ随筆家、清少納言は「春はあけぼの」というあの有名な冒頭に続いて「夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなどほのかにうち光りて行くもをかし。雨などふるもをかし」と書いています。
そうですね。夏はやはり夜ですよね。
(夏の月はいうまでもないこととして、闇夜でも蛍がたくさん飛び交っているのは素敵。でも、たった一つか二つでもかすかに光って飛んでいくのだった風情があるわね)
清少納言の美意識にもかなった蛍でした。
その清少納言をものを知ったふりをするいやな女とけなした紫式部は源氏物語で蛍を効果的に描きます。
その名も蛍兵部卿宮が光源氏の養女、玉鬘を訪れた闇の夜のこと。一応父ということになっている源氏はたくさんの蛍を放って、玉鬘の姿を見せようとします。ほのかに照らすだけでなく、ゆらゆら飛び交うのですからかすかに見えたり、隠れたり。何とも幻想的な場面です。効果的な照明はにくいほどの舞台装置。玉蔓の美しさを見て蛍兵部卿宮は「鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに 人の消つには消ゆるものかは」(鳴き声さえ立てない蛍の明かりは人が消そうとしても消えるものではありません。まして私のあなたへの恋の火はどうしようもなく燃えているのです)と歌を送ります。
それまでも度々歌を受け取って、困っていた玉蔓は「声はせで身をのみこがす蛍こそ声よりまさる思ひなるらめ」(声を出すこともなく自分の身をしずかに焦がす蛍の方が声に出すよりも深い想いを抱いているのではないかしら)とつれない歌を返したのです。結局、玉蔓は実直な男性と結婚して幸せになります。
平安朝の貴族達にとって、闇の中に光る蛍が、身を焦がす自分の恋を象徴する炎に見えたのでしょう。口にも出さず、静かに燃える蛍こそ本当の恋の実践者だったのですね。
「もの思へば沢の蛍のわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」
この歌は恋多き女性和泉式部の歌です。夫の心が自分から去ったと悩み、貴船神社へお参りに行きます。物思いに沈んでいると沢から蛍が飛んでいきます。その揺蕩うような頼りない蛍の火はまるで自分の魂が身体を離れて飛んでいるようだというのです。
平安朝の歌人達は蛍に、恋の火を重ねてみていたのですね。そうして、素晴らしい物語や歌として結実しました。蛍二十日に蝉三日というように短くはかないものの例えにされる蛍、今年の出勤状況はどうなることでしょう。
短い蛍の命を慈しんで訪ねてみるのも風流です。
短い蛍が終わると7月は七夕様。8月はお盆の行事が各地で行われ、甲子園の高校野球が終わる頃には少し暑さもゆるみ、秋の気配が感じられるようになります。素敵な夏になりますように。