かつえ坂 |
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お礼で出発
西行歌碑
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南奥駈道は、明治時代の廃仏毀釈や修験道禁止令などの影響で修行者が少なくなり、道も荒れていたそうです。その道を開き、持経宿の建設に力を尽くしたのが奥駈葉衣会の前田勇一さんだったそうです。昭和59年(1979)に建設されたのが持経小屋です。行仙小屋には前田さんの写真が飾られているとか。20〜30人が泊まれる宿には囲炉裏が2つあり、訪れる人を迎えます。長い歴史の中で奥駈道もさまざまな困難がありながら、世界遺産に登録されるまでになったというのは、多くの人々の山と修行に寄せる思いがあればこそだったのですね。
このあたりには千年のヒノキやブナ、ミズナラなどの大木が天を突くように育っています。大木は神様が宿ると信じられ、注連縄が張られているのです。一木一草にも神が宿る、山が法体という古くからの信仰は、大事にしたいものです。
 桜をこよなく愛した西行は吉野の奥千本に3年間住みましたが、奥駈も二度行っています。山家集にはこの時に詠んだ歌が残されています。
 
と書かれています。
西行が訪れた時の風景はどうだったのでしょう。山中で眺めた月はよほど美しかったのか、無常感をそそったのか。でも、体力の限りを尽くしての奥駈で歌を詠むというのは、すごいことだと思います。 |
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