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お礼で出発
西行歌碑
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1281mの転法輪岳はピークの手前の岩まで急な登りで山頂には釈迦説法の座石があるそうです。やはり、ここは宗教の山なのです。鎖を頼りに上ると1251mの倶利伽羅岳。険しい山道をひたすら歩くと行仙岳のアンテナが見えるとか。この間は季節によって石楠花が咲き続く見事な風景になります。行仙小屋には聖護院によって奉納された役行者と実利行者が祀られています。小屋を越えると聖宝理源大師が大蛇を退治して、道を開いたという伝説のから池と呼ばれる窪地があります。ここから長い登り道に笠捨山への横駈道(廃道)の分岐があり、その上には大峰八大金剛童子、笠捨山山頂には金剛童子が祀られています。 行仙岳から笠捨山への道もなかなか大変そうです。笠捨山という名前は行者がここから振り返って、あまりの風景の美しさに笠を投げたところから付けられたという説もあるほど、素晴らしい展望です。 十津川村上葛川に下る分岐、葛川辻を経て槍ヶ岳へ。ここから地蔵岳へは難所として知られています。地蔵岳の山頂の真下には地蔵尊が安置されているそうです。四阿宿、現在池は見当たらないが竜王が棲む池があったという菊ヶ池、をへて拝み返しへ。拝み返しとは熊野からの順峰で奥駈修行する時、熊野へ向かって拝み返すところからの名付けです。ここから民宿うらしまへと向かい、ほっとするひとときです。 そして明治時代の水害で流失した古屋宿、如意宝珠埋納したと伝える如意宝珠岳へ。 岩の口は蜘蛛の口とも呼ばれますが、蜘蛛の岩と呼ばれる巨岩が道の脇にあるからだとか。名前がゆかしい花折塚、かつえ坂、宝冠の森を過ぎるといよいよ玉置神社。 玉置神社は明治の廃仏毀釈以前、玉置三所権現と呼ばれ、別当高牟婁院を中心に十数坊の塔頭が建ち並ぶ聖護院末玉置修験の拠点でした。明治時代に多くの修験僧は還俗させられ、高牟婁院は廃寺となり、現在は玉置神社となっています。社殿周辺は樹齢3000年という神代杉をはじめ、数百本もの杉巨木が茂り、原始の姿をとどめています。玉石社には囲いの中に白い玉石が敷き詰められた小さな社です。人々がひとつずつ運んできたと伝えられ、信仰の篤さを物語っています。 |
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大峯奥駈道を行く 「第10回 持経宿から玉置神社へ」 |
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