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玉置神社を出立し、本宮辻、大森山の手前にある旧篠尾辻を過ぎ、大森山山頂へ。ここでも勤行は欠かせません。大森山を越えると切畑辻や七色辻とも呼ばれる現在の篠尾辻、やがて五大尊岳に到着です。ここでもやはり勤行。金剛多和、大黒天岳を経て吹越山へ向かいます。吹越宿は宿地跡に行者堂が祀られ、かつては本宮から吉野を目指す順峰修行の折、初めて参加する新客は峰入り法度の条目を読み聞かされといいます。緊張した新客たちは身の引き締まる思いで耳を傾けたことでしょう。 吹越宿から七越峯を駈け、備崎で熊野川を渡ります。吉野川で水垢離をして奥駈けを果たし、熊野川を渡るというのは修験者にとって格別の思いがあるようです。しかし、雨で増水すると自分の足で渡ることはできません。それだけに一層想いが募るようです。 大斎原を経て本宮への仮参拝を行います。大斎原は熊野川と音無川の合流点にある中州でこんもりとした森になっています。ここは熊野本宮大社の旧社地。明治22年(1889)の大洪水以前まではここに大社の社殿が鎮座していました。明治24年に本宮大社の主殿である上四社が現在の地に移転したため、広い境内は石祠二殿があるだけです。春になると100本ほどの桜が咲き、町の人々にとっては格好の花見散策地となっています。 最終目的地は本宮なのですが、今回は新宮を経て本宮へという昔ながらのコースを歩きますからここでは仮参拝することにしました。 仮参拝を終え、船乗り場の志古まで熊の古道を峠越え。古くは新宮、那智への参拝は本宮から川を下ったようです。ただし船ではなく筏だったとか。熊野川河口近くには熊野速玉大社があります。創建年代は明らかではありませんが神代、熊野速玉大神・夫須美大神・家津美御子の熊野神が各地を遍歴した後、紀州の神蔵峯[かみくらみね](南にある神倉山)に天降って鎮座されました。その後、家津美御子だけが熊野上流の本宮に降臨されたといいます。景行天皇の代(71〜130)、現在地に新しく社殿を造営して阿須賀社から結御子速玉之男神(夫須美大神)を勧請されたと伝えられています。これが熊野速玉大社の草創といわれ、“新宮”の名前もここから。 新宮の町は熊野速玉大社の門前町として栄え、熊野別当が居住した歴史深い町です。関が原の戦以後後に水野忠吉が新宮城を築城、水野重仲が入城して新宮は城下町として発達してきました。江戸時代は新宮港を拠点に豊富な熊野材を江戸へと送り、深川市場で覇を競ったものだといいます。新宮の町にはかつての面影がかすかに残り、訪れる修験者もひととき懐かしみながら、歩くとか。 |
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次回は「はるばると熊野本宮大社」です。 |
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