寺院めぐりをすると、時折ご本尊が秘仏なので公開していないといわれる時があります。
観光客が少なくなる冬、秘仏特別公開が行われ、パンフレットで特集されたりします。
日頃はお厨子の扉を固く閉じ、拝観できない秘仏とはどんな存在なのでしょう。仏堂の扉を開いた際に仏像が見えるように祀るのが本来でだと思うのですが。
東アジアの仏教圏の中で秘仏として仏像を公開しないのは日本に限ったことだと聞いたことがあります。キリスト教圏でもキリスト像を秘仏にしている例はないそうです。
これは神仏習合との関わりも考えられるという説があります。神道では神様を実際に見ることはできません。伊勢神宮でご遷宮が行われましたが、御神体は白い布に覆われ、深夜に新しい神殿へお移りになりました。日本古来の神道の中に仏教が伝来し、仏教を奉じる蘇我氏と神道を守る物部氏が争いました。しかしやがて本地垂迹説という考え方で神仏は習合していきます。本来は仏であるものが神の姿で現れたという考え方です。奈良時代末から平安時代にかけてのことでした。以来、仏教と神道は分かちがたく結びついてきたのです。特に古い形の宗教が残る奈良には寺院の中に神社があったり、鳥居があったりします。そんなことが秘仏誕生へ影響しているのかもしれません。
京都の広隆寺に伝わる「広隆寺資財交替実録帳」(890年頃成立)では金堂本尊の霊験薬師仏が鍵のかかる内殿に安置されていたことが記されています。そうなると9世紀にはすでに秘仏として扱われていたことになります。
秘仏を持つ寺院としては真言宗系や天台宗系に比較的多いようです。浄土教系、禅宗には比較的少ないそうですが、これは密教と顕教との違いでしょうか。
薬師如来、千手観音、不動明王など密教の教えによる仏像が秘仏となっていることからも仏像が名品であるかどうかとは関係なく、教義におもわれます。よるものだと思われます。また歓喜天という、象頭人身の男女が抱擁している姿などエロティックな像容では「教義に対する誤解を招く恐れがある」ことから秘仏にされる例もあるようです。
あるお寺の方は「仏教とは哲学として大変奥が深いのです。仏教を学ぶには段階があります。たとえばオリンピックの体操競技で素晴らしい演技者がいますよね。E難度、F難度という技をみると歓声がでます。いくら素晴らしいからといって、初心者がまねをすると命にかかわることがあるほど危険です。宗教も同じこと。いきなり奥義を学び秘仏に接しても深い意味を理解せず、表面をなぞって分かったつもりになるとそれは大変危険なことなのです」とお話しでした。
宗教の対立があり、少年が兵士となってこの戦いは素晴らしい、死ぬことは誇りだと教えられている現実があります。ふとそんなことが頭をよぎりました。宗教の本質を学ばずにいる危険はたしかにあると思います。
さて、秘仏には、全く公開されない「絶対の秘仏」もありますが、特定の日に限ってご開帳や開扉と称して公開されることがあります。長野・善光寺の阿弥陀三尊像のように、本尊像は絶対の秘仏で、「御開帳」の際に姿を見せるのが身代わりのお前立ちだったりすることもあります。高野山金剛峯寺金堂の本尊であった阿_(あしゅく)如来像は1926年に堂とともに焼失してしまいましたが、厳重な秘仏で、写真撮影もされていなかったため、その像のお姿は永遠の謎となってしまいました。
浄土教系、禅宗系の寺院には秘仏が比較的に少ないようです。でも全くないという訳ではなく、例えば浄土宗の大本山である増上寺(東京都)安国殿本尊の黒本尊と呼ばれる阿弥陀如来像は秘仏だということです。
金峯山寺の蔵王権現のような垂迹像、唐招提寺の鑑真像など祖師像にも秘仏となっているものがあります。西国三十三所の札所寺院にはすべて観音像が祀られており、その大部分が秘仏。札所本尊が秘仏でないのは6番南法華寺(壺坂寺)、7番岡寺、8番長谷寺、25番播州清水寺、32番観音正寺の5カ寺だけ。
法隆寺夢殿の本尊 観音菩薩立像は救世観音と呼ばれて特別開扉を待つ人が多いことで知られています。夢殿は、聖徳太子が営んだ斑鳩宮の跡に建てられた法隆寺東院の中心。堂内中央の厨子に安置される救世観音像は聖徳太子等身の像と伝えられる像高2mほどもあるすらりと美しいお姿です。飛鳥時代の木彫像ですが、史料によると平安時代後期の12世紀には既に秘仏であったとか。廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治時代、日本の仏教美術の重要さを説いた人がいました。アメリカ人の美術史研究家アーネスト・フェノロサと岡倉天心です。1884年(1886年の説も)、法隆寺を訪れた二人は寺僧らの反対を押し切って厨子の扉を開けました。像を開けると聖徳太子の祟りがあるとされていたのです。観音像は数百年ぶりに姿を現わしました。観音像は長い白布で何重にも覆われ、まるで全身を包帯で巻いたかのようだったと伝えられています。
この仏像を開けると太子の怒りで大地震が起こると信じられており、寺僧は逃げだした伝えらます。秘仏開扉にまつわる伝説は今でも形つがれているのです
絶対秘仏として誰もみたことがないのは東大寺二月堂本尊 十一面観音立像。東大寺二月堂は、「お水取り」の行事で知られています。「お水取り」は正式には修二会(しゅにえ)と言い、二月堂本尊の十一面観音に対してもろもろの罪や過ちを懺悔し、国家の安泰と人々の幸福を祈る行事ですが、大和の春を開く大切な行事でもあります。
二月堂内陣には大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と称される2体の十一面観音像が安置されています。いつの時代からか両方の像とも厳重な秘仏とされ、「お水取り」の行事を執り行う代々の練行衆たちもこれらの像を目にしたことはないそうです。寛文7年(1667年)には行中に二月堂が火災に見舞われました。観音像は何とか運び出され、その際に損傷した大観音の光背は奈良国立博物館に寄託されました。この光背は銅造で高さ226cmあり、破損が激しいようですが、全面に線刻で多くの仏菩薩の像が刻されています。奈良時代の制作だそうです絶対。誰も見たことがない秘仏というとお厨子の中は本当は空なのではとの風評も立つようですが、二月堂の観音像は確かに存在することがこの火災によって確かめらました。何とも皮肉なことです。
奈良の冬は盆地特有の冷え込みです。足元から寒さが這い上がってくる感じで冷たさがこたえます。外出も億劫になりがちですが、こんな時こそ思い切って家を出ましょう。この時期、奈良は素顔を見せてくれますから。ひっそりとしたお寺のお堂で仏像との対面すると心はゆるりと解けてゆくかも知れません。