今年の梅雨は大変な荒れようでした。湿潤なこの気候が豊かな実りや潤沢な水をもたらすとはいうものの、やはり過ぎたるは及ばざるが如し、ほどほどに願いたいものです。
雲の峰がわき立ち、夕立に雷が響きます。雨が上がると虹がかかり、再びの蝉時雨。食卓にはよく冷えたビールに枝豆、冷奴、鱸の洗いなんて如何でしょう。8月こそ夏真っ盛り、というのが実感ですが、暦の上では8月8日は立秋、いよいよ秋の到来ということになります。そして夏の花を代表するような「朝顔」ですが秋の季語です。小学生の夏休みの宿題に朝顔観察があったり、西日よけに朝顔を植えたりと感覚としては夏なのですが。
芭蕉41歳の時、当麻寺で詠んだ句です。“僧侶も所詮は人間だから朝顔のようにはかない命であることよ。この寺の住持にしても幾たび代を替わったのであろうか。それにくらべ、この松は仏縁に恵まれてかくも長く生きている。仏法の教えもこの松のようにいつまでも変わることはない。”というような意味でしょうか。
万葉集に詠まれた「朝顔」は槿や桔梗だといわれていますが朝顔も遣唐使によって伝えられていますから、この花だったという可能性も少しはあるのかも知れません。当時は種が薬用として用いられていたそうです。中国では大切な牛を牽いて朝顔にかえたという故事があることから種を牽牛子、花を牽牛花と呼んだとか。江戸時代以降、観賞用として広く栽培され、幕末には、欧州にまで伝えられていきました。原産地は中国南西部からヒマラヤ山麓とされ、原種は淡い藍色です。園芸品種ではさまざまな色や大輪が咲きますが、自生している小さな藍色の花はいかにも涼しげで一層はかない感じがします。芭蕉が見た朝顔はどんな花だったのでしょう。
當麻は門人である千里(ちり)の故郷です。芭蕉はその縁で當麻に滞在したのです。この句の前には「二上山当麻寺に詣でて、庭上の松を見るに、凡千歳も経たるならむ、大いさ牛を隠す共云ふべけむ。かれ非情といえども、仏縁に引かれて、斧斤の罪を免れたるぞ、幸にしてたつとし」の一文があります。境内に千年を生きる松の大樹があり、これは荘子が言う「大きさ牛を隠すほど」というのに匹敵するだろう。木には喜怒哀楽の情はないが、仏の縁でこの寺に植えられたからこそ斧で倒されることがなかったのだから、この木にとっては幸いなことであり、尊いことだ。というのです。
当麻寺は用明天皇の皇子麻呂子王が兄である聖徳太子の教えによって建立した万法蔵院禅林寺に始まるという寺歴1300年を越す大和の名刹です。中将姫が一夜にして織り上げたという當麻曼荼羅でも知られていますが、こういった情況があればこそ生まれた一句と思います。
平安時代に編まれた「和漢朗詠集」には「松樹千年終是朽、槿花一日自為栄」という一節があります。槿花は朝顔、芭蕉はこれを踏まえて詠んだでしょう。詠む人も鑑賞する人も共通の教養があって句が成り立ちます。当時の知識人にとって、論語はもとより老荘思想、古今の書物に至るまで当然の知識とする教養の深さには、改めて驚きます。
芭蕉には「朝顔に我は飯くふ男かな」という句もあり、同じ朝顔でも全く違う軽やかなおかしみが感じられます。朝顔の花の中に潜む秋を探してみましょうか。