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暮らしの歳時記 2008年 夏


 夏は雨が連れてくるような気がします。5月頃、日中にとても暑くなって最早真夏日などとニュースになったりしますが、そんな日は長続きせず、夕方からは寒いほどの風が吹いたりします。梅雨が明けてからがやはり本当の夏。
 矢田寺の紫陽花が雨に打たれてとりどりに変化して見せる色の不思議、うっとうしい雨がここでは無くてはならない名脇役です。春過ぎて夏来にけらし」と歌われますが、春から夏への変わり目に梅雨というなんともあいまいな季節があるのですね。そして、この季節が日本人の情感を育ててきたのかもしれません。故河井隼雄さんが、文化庁長官だった頃、「わび、さび、かびは日本文化やなあ」とおしゃいました。高松塚古墳の黴が問題になっていた時でしたが、河井さんは、黴だけを取り上げるのではなく、そんな気候風土の中で大きく考えていかなければ、ということだったのでしょう。その後すぐに倒れられ、お話の真意をお聞きすることは叶いませんでしたが、どんなにか心を痛めていらしたかを感じました。
 紫陽花が終わると蓮が古寺を彩ります。二千年の眠りから醒めて咲く唐招提寺の古代蓮も夏を涼やかに演出します。法隆寺展が開かれている奈良国立博物館の池には毎年唐招提寺から蓮が運ばれ、これもすっかり風物詩。喜光寺、薬師寺、十輪院の蓮も見事ですね。日なたと日陰のコントラストが町に描かれると春日の森には蝉しぐれ。木陰に憩えば酸素をたんと含んだ風が過ぎ、汗も引いていきます。そんな季節の味覚に欠かせないのが三輪のそうめん。食欲な落ちる季節にもこれなら。
 奈良公園全体を舞台としての燈花会が灯りの大絵巻を繰り広げ、大仏様のお身拭いが終わるといよいよお盆。各地で盆踊りの囃子が鳴って、高円山では大文字の火が夜空を焦がします。春日大社、大仏殿の万燈籠の灯が揺れて、浴衣姿に下駄の音も心地良く、なんて言ってる間に纏わるような暑さもそろそろ終わり。ひと夏の思い出、いくつ作ることができるやら。

夏祭り

 夏祭りは穢れや災いを祓い清める禊と祓が基本のようです。6月、春日大社や石上神宮をはじめ、各神社で行われるのが夏越しの祓。
年に二回行われる大祓のひとつが6月の夏越の祓で、12月が年越の祓。
この伝統は大変古く、神話の時代にまでさかのぼります。スサノオノミコトが姿をやつして旅をしている時、裕福な弟こ巨たん旦将来が冷淡だったのに対し、弟の蘇民将来は温かくもてなしました。そこでミコトは弟の一家を疫病で滅ぼそうとしますが、弟の家へ嫁いでいた兄の娘には茅の輪を腰につけさせ、病を免れるようにしたのです。そんな伝説と茅の旺盛な生命力と剣のような鋭い葉を持つことから神秘的な除災の力が信じられてきたのでしょうね。「蘇民将来子孫也」という札を玄関に貼っておくと災い除けになるといわれ、伊勢地方では門口にこの札を見かけることがあります。大祓は710年、大宝律令によって正式な宮中行事と定められています。
夏越の祓では茅草で作られた大きな茅の輪をくぐります。くぐり方は「水無月の夏越の祓する人は ちとせの命のぶといふなり」という古歌を唱えながら左回り、右回り、左回りと八の字を書くように三度くぐりぬけるというのが一般的。こうして1月から6月までの半年間に身心へついた穢れを祓うのです。
 夏はかつて疫病の季節でした。医学がまだ発達していない時代、伝染病への恐れはどれほどのものだったか、想像がつかないほどです。祈る以外に方法が無い頃、夏越の祓は健やかに夏を越すための重要な行事でした。
 石上神宮では6月30日、恒例の神剣渡御祭と夏越祓が行われます。悪霊退散と虫送りの意味があるとか。祭典で備えられた早苗が害虫よけの苗として参拝者に配られます。この時期はちょうど梅雨。厚い雲に覆われたり、雨に降られたりすることが多く、境内のほの暗さが却って幻想的な感じです。
 大神神社の茅の輪は三つ鳥居の形の中に三つの茅の輪が作られます。これはとても珍しい形ではないでしょうか。茅の輪をくぐる時、草の香りが身体を包み、いかにも清められた気になるから不思議ですね。
 6月のお菓子といえば水無月です。三角の白いういろう外郎の上に小豆が散らされているあのお菓子。これは、宮中では氷室の氷を神様に捧げ、そのお下がりの一片を食べて暑気と邪気を祓うという習わしがもとになっているのです。庶民の間では夏に氷などとても手に入りません。そこで、氷に似たお菓子を水無月と呼んで氷の代わりに食べたのです。三角の形は氷を表し、小豆は邪気払いの意味があるそうです。本格的な夏を迎えるまでの梅雨の時期、今年は茅の輪をくぐり、水無月でも食べてみませんか。

夏のお酒

 お菓子の話が出たら次はお酒でしょうか。夏の酒といえばやはりビール。枝豆の塩茹でに良く冷えたビールをお風呂上りに、なんて絵に書いたような夏の風景です。
 ビールの歴史は大変に古く、紀元前8000から4000年にまでさかのぼるといわれています。最古の文明はメソポタミア文明だといわれていますが、すでにビールがあったようです。この文明を創り出したのはシュメール人ですが、この人々は粘土板に楔形文字でビール製造の様子を記録しているというのです。
 エジプトでも紀元前3000年頃にはビールを飲んでいたといわれます。肥沃なナイル川畔で収穫された大麦が原料のビールはどんな味だったことでしょう。クレオパトラも魅力的な唇からビールを飲み、喉を潤したに違いありませんね。
 紀元前1700年代に策定されたという「ハムラビ法典」。世界史の教科書に必ず載っていますよね。これにもビールに関する法律が記されています。ビールを飲ませるお店や醸造所があったようで、その取り締まり規則や罰則があったのです。ビールを水で薄めたら水の中に投げ込まれるというような。今の食品衛生法でしょうか。産地偽装や使いまわしなんてしたら、どんな罰則になったのやら。なお、ハムラビ法典の石板はルーブル美術館にとてもさりげなく置いてありました。

夏の魚

 夏の風物詩にもなっているのが長良川の鮎漁。鵜を巧みに操っての漁は「面白うてやがてかなしき」という感じですが、新鮮な鮎の味はうれしいものです。奈良では吉野川の鮎漁が有名です。五條市では古くから伝わる簗漁も復活、河畔でとれたての鮎の塩焼きがいただけます。鮎のワタで作られるウルカはお酒にぴったり。
 真鯵、スズキ、イサキ、太刀魚も夏の味覚です。脂ののったところを塩焼きにしてレモンでも絞っていただけば、暑さに減退した食欲も復活しそう。そして、土用にはやっぱりウナギですね。蒲焼だけでなく、白焼きを山葵醤油でという手もあります。祇園祭の頃には鱧。湯引きの洗いを梅肉で、皮の酢の物はキュウリと共に。海に囲まれた日本には豊かな魚文化が息づいています。健康にもいいと世界が注目する魚、しっかり食べて食糧自給率を少しでもアップさせたいものです。
夏と古典芸能
 夏の代表的な歌舞伎といえば何といっても「東海道四谷怪談」。雑司ヶ谷四ツ谷町浪宅の場では上手に蚊帳が吊らされている。蚊帳を実際に使った経験のある年代といえば、団塊の世代が最後でしょうか。入る時には蚊を避けるために蚊帳の裾をぱたぱたと振ってから、なんてことを知っている人達です。蚊を避けるという実用性だけでなく、何ともいえない情感のある民具です。病気がちなお岩に乳飲み子もいるのに、夫の民や伊右衛門は蚊帳を質草にと持ち去る非情。蚊の多い夏に、それは耐えられないことでした。夏の蚊帳の重要性を知らなければ、伊右衛門のこの仕打ちの酷さも分からないわけです。
 連日満員御礼だという繁昌亭。落語がブームになっているようです。夏をテーマにした落語といえば「夏の医者」。真夏に農作業をしていた父っつあんが日射病で倒れます。一緒にいた一人が倒れた人を見、もう一人が二つ山を越えて医者を迎えに行きます。医者を連れて帰る途中、二人はおおきなウワバミに飲み込まれ、お腹の中に下剤を撒いて出てくるのですが、薬箱を忘れてきたのです。そこでもう一度ウワバミに飲まれようとしますが、ウワバミは“夏の医者はあたる”という噺。これを枝雀が舞台にかけるとおかしいのおかしくないの、涙が出るほどです。のどかーな時代ののどかーな噺です。もうひとつは連続ドラマで有名になった「ちりとてちん」の江戸落語版。こちらは「酢豆腐」というお題です。若い暇人が日中から暑気払いに一杯やろうと酒の肴調達にすったもんだする噺。この暑気払いという言葉が何ともいいですね。冷気を求めてクーラーを入れるというのではなく暑気を払うという発想。温暖化が進んでいなかった時代のこれものどかーな噺。自然に寄り添う暮らしの方が感覚も豊かだったような気になります。



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