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暮らしの歳時記 2009年 春


春の俳句

「春雨や蜂の巣つたふ屋ねの漏り」芭蕉
 元禄7年芭蕉が51歳の作です。この年の秋に亡くなりますから、最晩年に詠んだのですね。
 煙るような春の雨が一日中しとどに降り続く、そんな日には訪ねて来る人もないし出かける気にもなれない、どこかけだるい雰囲気の句です。読書や句作にも飽きて何気なく窓から外をみると去年の夏にできた蜂の巣が軒に下がっていて、屋根からの雨が巣を伝って滴り落ちています。ぼんやりと眺めていると屋根からは雨漏り。  芭蕉が住んでいた深川の芭蕉庵の屋根は藁葺だったのか瓦葺きだったのか、どちらでしょうか。草庵ですから藁屋根が似合うし、そうあって欲しい気もします。いずれにしても古く、雨漏りがしているのです。この時期、芭蕉の門人が離れたり、同門での諍いがあったりして、芭蕉の心は鬱屈していたことが窺われます。春の雨を眺めながら深い孤独感を味わっていたのかもしれません。だからこそ、去年の蜂の巣に目を留めることができたのだと思います。元気で意気盛んな時には目もくれなかったものだったのに。
 門人のやば野坡は世間の人があまり評価しない句だけれど、「奇妙天然の作」で自分は常に吟じていると言っています。そして淋しさが言語の尽くしがたいとも。冷たい氷雨や激しい雨ではなく、しとしとと音もしないで降る春雨だからこそ倦んだような、寂寥感が凝縮するのですね。深川の草庵の湿り気やうっすらとした冷たさまでも伝わってきます。芭蕉の心に迫ることはできませんが、程度の差はあっても誰だって深い淋しさを胸の奥に畳み込んでいるものですよね。作者の心に添ってみるとしみじみとした共感が生まれてきそうです。野坡は書簡で「去年の蜂の巣の草庵に残りたるに、春雨の伝ひたる静けさ、面白くいひとりたり、深川の庵の体そのままにて、幾度も落涙いたし候」と残しています。芭蕉の句が評価されてきたのもこうした門人の深い鑑賞があればこそだったのだと思います。

春の行事

 春を開く行事といえば東大寺二月堂のお水取りが筆頭でしょう。
 正式には「十一面悔過」といい、十一面観音の前で日常の過ちを懺悔するという行法です。さらには国家安泰、五穀豊穣、万民豊楽も祈るものといいます。旧暦2月の行事なので修二会、閼伽井屋の井戸からおこうずい香水を汲み上げ、十一面観音に供えることから「お水取り」とも呼ばれています。現在は3月1日から14日の2週間にわたってさまざまな行法が行われるのです。この2週間が本行で、最初の7日間が大観音、後の7日間は小観音を本尊にして行われます。
 この行に参加する僧侶は練行衆と呼ばれ、11人と定められていますが、前年に忌みごとがある人は参加できません。練行衆は全ての人々に代わって罪の懺悔をしますから、清浄な身心が求められるのだそうです。本行に入る前の8日間は別火坊で共同生活を送り、俗世間を断ち切ります。俗世間とは火を別にして暮らすという意味があるのです。この期間は必要以外の私語は禁止、決まった時間以外には湯茶も飲めないといいます。声明の練習や二月堂の須弥壇を飾る椿の造花を作ったりと本行へ向けての準備が粛々と行われるのです。
 3月1日の本行から毎夜、松明を道灯りとして二月堂へ上がるのですが、これがあの大きな松明です。松明は童子と呼ばれる人がかつぎ、二月堂の欄干で燃えさかる松明を振りかざすと火の粉が舞うように降ってきます。その度に集まった人々から大きなどよめきと歓声があがり、一年の災い除けに少しでも火の粉を浴びようと人の波が揺れて大変な賑わいです。お松明が燃え尽きると人々は地面に落ちた松明の燃え残りを持ち帰る人もいます。椿の花を活けた花瓶の横に紙を敷いて乗せておくとちょっとした飾りになるのだとか。  行事の代名詞にもなったお水取りは12日の深夜に行われます。二月堂の下にある重要文化財の閼伽井屋の井戸水は若狭から地中を通って送られるとの言い伝えがあり、若狭では「お水送り」が行われていて、時々ニュースにもなりますね。この日は籠松明と呼ばれる直径1mを超える大きな松明が11本(ほかの日は10本)あがります。

 お水取りに続いて行われるのが火の行法であるだったん達陀。人々の煩悩を焼き尽くすために八天に扮した練行衆が火のついた松明を堂内内陣で飛び上がりながら打ち振ります。お堂が燃えるのではないかと思うほどの炎に圧倒されてしまうほど。この達陀は13日と14日にも行われます。
 今年で1258回を迎えるお水取りは天平時代から一度も絶えることなる連綿と続いてきた伝統行事です。飢饉の時も戦乱の時も二月堂が火災に遭った時でさえも続けられてきたお水取り。こんな伝統行事は世界中にも珍しいのではないでしょうか。深々と凍てつく夜のお堂で繰り広げられる火と水の行事を今年はじっくりと体験してみようかしら。

お水取りが終わると大和の春が開くといわれてきましたが、本当にこの2週間は季節の変わり目ですね。枯れ色だった野原にも新しい芽生えが緑色をさっと刷毛ではいたように色づきます。
3月30日には薬師寺の修二会花会式がはじまります。4月8日は新薬師寺でも修二会。この頃には境内の桜も咲いて、華やかなお松明です。本堂の回りを大松明がめぐりますが、高いところからではなく、同じ目線での炎には迫力があって見ごたえ十分。 吉野金峯山寺では4月11日に花供懺法絵、15日には当麻寺、石光寺のぼたん祭。5月になると花の寺でなくても花盛り、まして花を慈しむ寺では百花繚乱の美しさ。5月19日は唐招提寺のうちわまきでこれが終わるとそろそろ夏支度といったところでしょうか。

春の昆虫

春になると生き物が一斉に動き出しますが、もっとも春らしい昆虫といえば蝶々ではないでしょうか。中でも身近なのはモンシロチョウ。庭先や街中でも見かけますね。でも白いチョウはすべてモンシロチョウだと思っていませんか?都市やその周辺で見かけるのはスジグロシロチョウという別種かもしれないのだそうです。大きさもモンシロチョウによく似ていますが、よく見ると羽に細く黒い筋が見られます。
 都市化した町ではモンシロチョウが減り、このスジグロシロチョウが増えてきたとか。モンシロチョウは明るい場所を好み、幼虫はキャベツ、アブラナ、カブなど栽培植物を好みます。農家からみれば困った昆虫。一方、スジグロシロチョウは本来、低い山や林の縁辺りの日陰に住み、野草を食べているのです。そんなスジグロシロチョウが都市に生息するようになったのは、建築物が高層化してビルの谷間に日陰ができたこと、街路や公園に植えられた観賞用ハナダイコンを好んで食べるからといいます。都市開発はこんな小さな昆虫の分布にも影響を与えているのですね。庭で見かける白いチョウは、さてどちらなのか、確かめてみたくなりました。



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