今年の冬の寒さはことのほか厳しいものでした。「梅一輪一輪ほどの暖かさ」とはよく詠んだもので、実際雪の中にも花を咲かせ、一輪咲くごとに暖かくなってきます。この句は芭蕉の弟子として知られる服部嵐雪の作です。
弥生三月、いよいよ春です。奈良で春を開くといえばまずは東大寺二月堂のお水取り。今年は1260回目の行となります。その間、一度も絶えることなく続けてきたというのですから驚くほかはありません。奈良の都が京都へと移っても、大仏殿が炎上しても、二月堂が炎に包まれた時だって止めることはありませんでした。第二次世界大戦末期、昭和19年には11人の練行衆のうち3人に召集令状が来たそうです。行の最中ながら、国家の命ですから仕方ありません。残り8人で何とかやりくりしながら続けたとか。「不退の行」といわれる所以です。
3月1日から14日までの間、毎夜繰り広げられる火の行法は、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を祈るものです。「お水取り」と呼ばれますが本来は旧暦の2月に行われていたので「修二会」。正式な名称は「十一面悔過法要」で、これは二月堂の本尊十一面観音に懺悔するものといいます。そして、この本尊は絶対秘仏として堂内深くに祀られ、誰も見ることができないのです。国宝の二月堂欄干では大きな松明が夜空を焦がし、堂内でもだったん達陀の行法という松明を床に打ちつけたりします。木造の建物の中でよくこんな行が続けられたものです。今年も無事に満行できるように祈るばかりです。
この2週間の間は季節の移る時。こごえるような寒い日もありますが、行の終わる頃には風景も春らしくやわらいできます。
辛夷、木蓮、連翹が咲き、梅が終わると桜の季節。弥生の空は霞か雲かと見紛うばかりの桜が咲き誇ります。桜の開花がニュースとなる、そんな国に住んでいる幸せを感じる時です。何年か前、アメリカの老婦人をホームステイとして我家に迎えました。一緒にテレビを見ながら、彼女が驚いたのはニュースで話していた桜前線のこと。地方ではなく全国ニュースになるなんて、素敵と言うのです。彼女の町には花水木が咲いて、とてもきれいだけどそれが全国規模で咲くことはないし、ニュースにもならないとのことでした。私たちは当たり前のように思っていますが桜前線も、考えてみると素晴らしい宝物かも知れませんね。大切にしたいものです。
日本人にとって単に花といえば桜を指すほど特別の花。行きつ戻りつの季節の中に桜の開花を待ちわびます。全国各地に桜の名所や名木があって絢爛たる花絵巻が繰り広げられますがその筆頭はやはり吉野。全山を山桜の淡い色で染め上げる壮麗な風景と刻まれてきた歴史の深さは桜の国広しといえど吉野の右に出るところはありません。吉野は桜の聖地であり、桃源郷ならぬ桜源郷。
早春、冷気の中で桜の樹皮の下では入念な色の調合が行われています。まず枝先がほんのり赤らんでゆっくりと蕾を育て気温に促されつつ膨らみ、見る間に開きます。咲いたと思うともう散り急ぐのが桜。日本人の美意識の根底には序破急のリズムがあるといいますが、桜はまさしくそのまま。桜の語源は「古事記」の中に登場するこのはなさくやひめ木花佐久夜毘売の佐久夜が転訛したものという説と早苗や早乙女など稲作に関わりのあるサの音と神座など神の依り代であるクラが結びついたとの説があるようです。種蒔桜、田打ち桜、苗代桜、麻蒔桜 などと呼ばれる桜が各地にあるのは農作業の目印になっていたからだといわれます。実りの如何が命と直結していた時代、豊かな実りを予感させる桜は命そのものだったではないでしょうか。万葉集には「春さらばかざし挿頭にせむとわがも念ひし 桜の花は散り去にしかも」(巻16-3786)という歌があります。春だから桜の花を髪飾りにしようと思ったのにもう散ってしまったと解釈できますが、ここには桜の花を髪に挿すことは神との交歓、収穫への祈りという呪術的な意味もあったようです。収穫への祈りが届かなくなってしまったという痛恨の思いが込められていたというのです。花を髪に挿すのは神の分霊をいただくことだったのですね。幼子の髪に花を挿すと喜ぶのは原始の心が宿っているからでしょうか。
吉野と桜の結びつきは天智天皇(668〜671)の頃、修験道の開祖である役行者が大峯山で修行をしていた時に感得した金剛蔵王権現を桜の木に刻んで本尊にしたことが始まりです。以来、ご神木として手厚く保護されてきました。「桜一本首一つ、枝一本指一つ」と言われるように厳しく伐採を戒める一方、桜の寄進や献木が行われて一目千本、桜の山となったのです。桜を寄進するのは亡くなった人のよみがえりを花に託すことでもあったとか。修験道は死と再生が大きな主題ですから、桜がひとつの象徴でもあるのですね。吉野を象徴する金峯山寺蔵王堂。外陣には桜紋の幔幕が引かれ、燈籠や香炉にも桜紋が使われています。僧侶の袈裟も桜紋とまさしく桜尽くし。
花の季節、吉野は大変な賑わいとなります。花より人ごみが印象に残ったなんて感想を聞くこともあります。その吉野で忘れられない風景は夜明けの頃。まだ暗いうちに山に着き、しだいに明けてくる中での花見の美しさは息をのむほどでした。吉野の桜は下千本から咲き上り、奥千本までなら約一月咲き継ぎます。この桜を平安の人々は深く愛し、吉野の桜を京の都へも植えました。吉野には嵐山というところがあって、ここから桜を移したのが桂川の流れる嵐山。今では京都嵐山がすっかり有名ですけれど。
急かされるように桜が散るとその後にはさくら草が花をつけます。さくら草とはよく名付けたもので、桜の花びらが地面に落ちて、そこから花の精となって生まれたような気高い花です。御所市にある高鴨神社では500種以上ものさくら草が、公家に愛されたという由緒を思わせるようにゆかしく飾られます。高鴨神社は弥生時代から何らかの祭祀を行っていたと伝えられる最古の神社のひとつであり、全国の賀茂(加茂)神社の総本宮。丹精された花は見る人の心をやさしくしてくれます。古社のたたずまいの中の華やぎが素敵です。
周囲の水田では田植えの準備が整えられ、春から初夏へと移る頃。行く春を惜しみながら、花を訪ね、旧跡を歩く楽しみは奈良に住む者の幸せですね。