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暮らしの歳時記2011秋

風

  今年の夏は節電に協力しようとエアコンを使わないで過ごしました。うだるような暑さの中、開け放った窓からふっと流れてくる風の何と有難かったことでしょう。移ろう季節の中に風を詠んだ歌があります。

「夏と秋行きかふ空の通ひ路は かたへ涼しき風やふくらむ」(凡河内身恒・古今集168)
「秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行・古今集169)
「この寝ぬる夜の間に秋は来にけらし 朝けの風の昨日にも似ぬ」藤原季通・新古今287)

 最初の歌は暑い暑いと過ごす時、きっと空の上には夏の暑さの傍には涼しい秋の風が吹く路があるのだろうなあ、とため息をついているようです。  次ぎの歌は良く知られていますね。目には見えず、さして涼しいというわけではないけれど、音に秋が感じられるというのです。敏感ですね。
 そして三首目。寝ている間に秋がきたようだ。この朝の風はなんとも涼しい秋の風だよ。昨日とは似ても似つかない。
 秋を待つ風の歌に今年は深く共感しました。エアコンで暑さを凌いでいたら、風の音や強弱は気にも留めなかったでしょう。まして、一夜のうちにやってきた秋の訪れも知らぬままだったかも。団扇や麦茶、打ち水で過ごす夏があればこそ、秋風がこんなにも有難く嬉しいのですね。
 さて、季節が進むと寂寥感が漂ってきます。
「秋風のうち吹きそむる夕暮は そらに心ぞわびしかりける」(後撰集221)

「荻の葉にふきすぎてゆく秋風の また誰が里をおどろかすらむ」(後拾遺320)

 秋風が吹き始める夕暮れには、うつろな心が侘しくも切ないというため息のような歌です。“そら”は空と上の空、ぼんやりといった意味が込められているようです。
 次ぎの歌は荻の葉ずれの音をさせてすぎていく秋風は、流れた里で誰かを驚かせるのだろうか、と歌います。風の行方の先の誰かの心まで思いを馳せているなんて素敵ですね。

晩秋の風はどう読まれているのでしょう。
「吹く風の色のちぐさに見えつるは 秋のこのはの散ればなりけり」(古今集290)

「白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける」(文屋朝康・後撰集308)

 いよいよ秋も深まりました。秋風がいろんな色に見えるのは木の葉の散る色なのね、と風に色を見ています。二首目は白い露に風が吹きつける秋の野は、糸が切れた玉のようにそこここに露が散っていくという歌です。玉とは心にずっと秘めていた思い、それが時を得て輝きはじめるという解釈もあるようですが、どうでしょう。秋の風を錦織りにたとえたり、わびしい思いを託したり、秋の風はそれこそ千万の風の風景を作り出しているようです。


月

  秋といえば月。今年の中秋の名月は9月12日です。各地でさまざまな観月会が開かれますね。
 月とは天体の月ともうひとつ、1月2月という毎月の月でもありますね。なぜ月というようになったかといえば、明治の初めまで使われていた旧暦、太陰太陽暦が月の満ち欠けを基準にしてひと月としていたからです。
 新月を月の1日とするのです。三日月は3日。3日目の月だから三日月という訳です。満月は15日。日付と月の満ち欠け、つまり月の呼び名が一致します
 7月7日は七夕ですが、この日は7日目の月ですから、上弦のまだほのかな明かりの時。月明かりがさほどではないので天の川も彦星も織姫星もよく見えます。
 「時は元禄15年12月14日」といえば言わずと知れた忠臣蔵討ち入りの日です。この日は雪が降り積もったようですが、雪雲さえ晴れると14日の月、ほとんど満月。煌々とあたりを照らすという日ですね。そんなことは当時の人にとってみれば当たり前のことだったでしょうね。
 便利に見える旧暦ですが、月の満ち欠けだけで一年を計ると1年が約354日になってしまい、実際の1年より11日短くなってしまいます。このまま過ぎると暦の月と季節がずれてしまいます。2月が真夏なんてことにもなるのです。それを解決するために3年に一度、「閏月」を作り、1年を13ヶ月にしました。現在、閏年といえば2月が29日まであり、1年、366日となる年を作って調整しています。原理はそれと同じことですね。
 イスラム暦などは月を基準とした暦で季節と月が合わなくなっているそうです。でも、砂漠地帯で季節に変化の無い地域はそれでも支障がなく、いまでも使われているとか。日本のように四季がはっきりとし、それによって農耕を整える国では生活自体に不都合をきたしてしまいます。
 さて、明治時代の改暦は突然のことだったようです。明治5年11月9日に太政官布告によって明治6年1月1日から太陽暦を使うと決められました。明治6年1月1日は旧暦の明治5年12月3日のことです。布告から実施まで1月もないなんて、今では考えられませんよね。旧暦の暦はすでに印刷されていたそうですから、これは全て紙くずになったとか。明治5年の12月は2日間しかないことになります。世の中はどんなに慌てたことでしょう。いろんな問題を抱えながら、慌てて改暦した理由のひとつが明治政府の深刻な財政難だといわれます。明治6年を旧暦で過ごすとこの年は閏年にあたっていたのです。役人の給与はそれまでの年俸から月給にしていましたから、明治6年には13回の給料日があります。この時、改暦すれば12回の支払いで済みますし、12月は2日間しかありませんから、この月の給料も払わなくて済むという訳です。当時の官僚の絞った知恵だったのでしょうか。
 美しい月を見ながら、明治の混乱期に何とか国を立て直そうとした人々のことを思ってみてはいかがでしょう。


星

 秋の夜長にはちょっと外へ出て空を見上げてみませんか。
 夏の賑やかな星座から静かな星空へと秋への模様替えしています。一年中同じ位置でかがやいているのが北極星。その回りを回っているのが北斗七星とカシオペアです。北極星を中心にカシオペアや北斗七星がまわっていますがどれも一年中見ることができます。
カシオペアは古代エチオピアの王妃で、その娘がアンドロメダ姫。アンドロメダ姫はそれは美しいお姫様で、カシオペアの自慢の種。ある日、カシオペアは「海の妖精だって私のアンドロメダ姫の美しさの前では霞んでしまうわ」と言ってしまいます。これが海の神であるポセイドンの耳に入ったから大変です。エチオピアの海岸にはお化け鯨が現れて人々を脅かすようになりました。そこでアンドロメダ姫を生贄に出せというお告げが下ります。国民の命には代えられないと姫は海の岩場に繋がれてしまいます。姫を飲み込もうとお化け鯨が迫ったその時、天馬ペガサスに乗った勇者ペルセウスが通りかかり、姫を助けました。危うく命拾いをしたアンドロメダ姫はペルセウスを結ばれ、めでたし、めでたし。
娘の自慢をしたカシオペアは椅子に座ったまま星になって北極星の回りを一年中回り続けるという罰を受けたのです。 娘の自慢をしただけで罰を受けるとは何ともむごい感じがします。きっと古代エジプトではいけないことだったのでしょうけれど。
慌しい日常のほんのひと時、空を見上げて星の物語に思いを馳せてみませんか。



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