大震災以後、省エネは当たり前になりました。大量生産、大量消費から自分の身の丈に合った暮らしへの転換はごく自然の流れかも知れません。こんな災害が起こらなかったとしても、モノに溢れる暮らしの中には充実感や満足感、幸福感を得られないものだと多くの人々が感じ始めていたと思います。そこに大震災。大きな流れとして価値観の転換が行われているのでしょう。
夏は風鈴や団扇がとても売れたと聞きました。さて、冬です。今は石油ストーブ。生産が間に合わないほどの需要があるとか。温風の出ない、昔ながらのものが売れているようです。停電しても暖がとれるし、お湯も沸く、簡単な調理だってできるのですから、非常時には役立ちますね。
それに薪ストーブも人気だそうです。友人はもう随分以前から使っているのですが、排気は煙突で外に出るし、オーブン料理はできる、その上、とても素敵なインテリアです。部屋全体がほっこり暖かく、ぱちぱちは木が燃える音もそれだけで温もる感じがします。
もう、7,8年も以前になりますが、アメリカの小さな町に行った時、たいていのお宅に暖炉がありました。スーパーの外には薪が山ほど積んであり、人々は買っては車で運んでいます。知り合いの日本人は、小さなアパートなのに暖炉があるのに驚いたと話していました。子どもが小さいから暖炉は使っていませんでしたけど。ちろちろと燃える火は人々に安心を与えるものなのでしょうね。どんなに時代が進んでも、焚き火で暖を取り、外敵から身を守ってきたDNAはしっかり受け継がれているのかもしれませんね。
さて、我家では今火鉢です。庭で植木鉢代わりをしていた陶器の火鉢をきれいに洗って部屋にいれました。まずは灰です。昔なら藁を焼いて灰を作っていたのでしょうが、新興住宅地では藁も手に入らないし、焚き火もできません。そこでお茶道具の店へ行き、安い灰と五徳を求めました。炭は脱臭用にと以前に買った備長炭とバーベキュー用を併用しています。火をつけるのはガス台で。毎日こうして火を起こすのはちょっと面倒かなぁと思っていましたら、何と、その必要はありませんでした。というのも、夜寝る時には炭の上にすっかり灰を被せておきますが、朝その灰を払うと埋み火が顔を出したのです。新たな炭を置いてみるとちゃんと火が付ました。近くの竹林で一節竹を切り、節のところに錐で穴を開けた火吹きを作りましたが、これがまた優れもの。ふー、ふーと吹いているとしっかり火が熾ります。しばらくすると鉄瓶はしゅんしゅんと音を立てて沸いてきます。鉄瓶からお湯を注いでのお茶は同じ茶葉でも美味しく感じられるから不思議。寝る前には湯たんぽにお湯を入れてお布団の中へ。ほのぼの暖かくてすごくいい感じです。電気毛布より乾燥しないのではないでしょうか。
そして朝、湯たんぽを抱えて洗面所へ。このお湯はまだまだ暖かいのでこれで顔を洗うのです。エコしているなーという自己満足もあってしばらくは続けるつもりです。お正月にはここでお餅も焼けるしね。
ただ、気をつけなければいけないのが一酸化炭素中毒です。機密性の高い室内は要注意です。そういえば、季語でもある「隙間風」を知る人が少なくなっていると聞きました。隙間風の実感がないから俳句が作りにくいのだとか。火鉢もそんな隙間風が当たり前の時代のものだったのですね。自発的に隙間風を作って、時々は窓を開けて換気しながらのエコ生活、やってみると楽しいものです。昨冬はホットカーペットにオイルヒーターと暮らしの中に火がありませんでした。火鉢を囲んでいると会話が増えるみたいです。その炭の置き方では火が付かないだのお湯が沸いたからお茶にしようかだの。火は心まで温めてくれる気がします。
皆で少しずつ節約すると原発がなくても生きていけるかも知れません。生活のクオリティーをしっかり維持しながら。惨めな節約ではなく豊かな節約の道を探したいものですね。
12月17日は大和の1年を締めくくる春日若宮おん祭りです。荘厳にして華麗な祭礼として知られるお祭は今年876回目。これはかすが若宮様の霊力をますます盛んになることを願って、一日のご旅行をしていただこうというものです。神様だって気晴らしがいるということでしょうか。神様の旅ですから、しかも1年にたった一度きり、歴代の神職の方々は工夫を凝らし、催しもお食事にもあらんかぎりの贅を尽くしてご奉仕してきたものです。歴史の中で磨きぬかれた行事は大和一国を代表する祭礼として今年も着々と準備が進められています。
準備は10月から始まっており、12月15日には大宿所でいろいろな祭祀がおこなわれますが、なかでも御湯立の式は迫力があります。巫女が腰にサンバイコと呼ばれる荒縄を巻き、左手に御幣、右手に鈴を持ち、煮えたぎる釜の湯を御幣でかきまぜ、日本国中の神の名前を称え、やがて両手に束ねた笹に持ちかえると、一層激しく釜の湯を天に向かって打つと湯煙が沸き立ちます。こうして諸方を祓い清めるのですが、古代の祭礼に立ち会っているような気になります。
ここでは大根や里芋、厚揚げなどを炊いたのっぺと呼ばれる汁物や甘酒が振舞われます。
大宿所に並べられた鮭や雉などが青竹に懸け吊らされ、人々の目を奪うのです。お渡り行列につける装束類も飾られて、じっくり拝見できます。奈良国立博物館では12月6日から1月15日まで「おん祭と春日信仰の美術」という展覧会が開かれます。ここで事前に鑑賞して行くと理解が深まることでしょう。
そして12月22日は冬至です。一日で一番昼間が短い日。でもここから少しずつ日は長くなっていくのですから、希望の日ともいえそうです。この日は昔から柚子風呂に入るといわれてきました。柚子から融通、縁起かつぎともいわれますが、柚子の成分には風邪予防や美肌効果もあるといいますから、季節を味わう風習として伝えていきたいですね。そして冬至に食べるのがカボチャです。これも冬の緑黄色野菜として栄養価も高い食物として理に叶っています。
柚子湯に浸かって、カボチャを食べて冬に備えるってちょっと素敵ですよね。
お正月の準備はお掃除、お節などさまざまありますが、松飾もそのひとつです。床の間や玄関のお花にはやはり松が似合います。門松とまではいかなくても根引きの松をちょっと門に結ぶと新年らしくなります。松で印象が深いのが陸前高田市の一本だけ残ったあの松。松並木が全部津波で流されたのにたった一本だけが立ち残りました。希望のシンボルになりましたが、何とか元気になってほしいものです。
たくさんの樹木の中で松だけは特別扱いをされてきたのだと思います。松竹梅の筆頭でもあります。神が宿るのも松。おん祭で影向の松の下でさまざまな芸能が奉納されますが、これは松に神様が宿っておられるから。各地の能舞台に松が描かれるのはこの松だともいわれています。松はまつりまつるに通じるから神が宿ると考えられたという説もあります。それに待つの意味も込めて古くから歌にも詠まれてきました。清少納言は「かきまさりするもの 松の木。秋野。山里。山路」(117)と絵に描いて見栄えがするものの最初にあげています。徒然草の吉田兼好は「家にありたき木は松、さくら」と書いていますから口うるさい人も認める愛すべき木だったのですね。
寿命が長く、常緑で格調高い木として絵画に描かれ、庭に植えられてきた松。老木の木肌は岩のようにごつごつし、苔も生えますが、それがまた、一層美しいのは松の持つ霊的な魅力なのでしょう。松を飾り、松葉に黒豆を刺してお節に添えるとめでたさもひとしおです。立ち残った一本松にエールを送りながら新年を迎えたいものです。
極寒といわれる2月になると探梅の催しが行われます。各地に梅林があって、寒さの中にいち早く春を告げる花の木を目指します。梅の実を目的とした梅林と天満宮のように梅そのものを楽しむ梅林があります。太宰府天満宮には菅原道真が愛した梅が京都から飛んできたという飛び梅が花をつける頃でしょうか。奈良の天満宮でも梅の花がたくさんあり、盆梅展も開かれます。月ヶ瀬、賀名生、広橋など梅の名所は奈良県下にもたくさんありますが、大和文華館の梅もそれはきれいです。館の方々が手入れをされる庭園には四季折々に花が満ちますが、梅のこみちと名付けられた文字通りこみちをいくと馥郁たる梅の香りが漂います。美術品を見た後の余韻に、心地良く浸れる絶好の場所です。