パラソル、ひまわり、海水浴でイメージされる夏ですが、その前にやってくるのが梅雨。5月の末ころから曇り空が続き、しとしとと雨が落ちてくると梅雨の走り。やがて家の中までじっとりとする本格的な梅雨の季節がやってきます。梅雨も後期になると暴れ梅雨となって、水の被害に見舞われたりすることも。
梅雨は中国揚子江あたりでもあるようです。梅雨の語源も中国語の“梅雨”からともいわれます。梅の実が実る頃、黴(ばい)雨のことなどいわれますが、青梅の実が雨に濡れている様子はいかにもこの季節ならでは、という感じがします。
この頃にひとつの楽しみが蛍。奈良にはたくさんの蛍の里がるようです。市街地に近いところでは東大寺の大仏蛍でしょうか。大仏殿の裏にふっと現れる蛍は場所が場所だけに思わず手を合わせたくなってしまいます。自然が豊かな奈良では各地に蛍が生息しているようです。宇陀市では「あきの蛍能」が行われます。阿紀神社の能舞台で開かれるお能の会では途中、灯りが落とされ、蛍が放たれるのです。幽玄な能舞台が更に幽玄となる阿紀神社ならではの舞台。今年は6月15日に行われる予定とか。奈良市大柳生、宇陀市室生や菟田野、曽爾村などは良く知られています。
中国の「瀟湘八景」に想を得て日本でも近江八景や金沢八景として風光を詩歌や絵画に描いてきましたが、奈良は南都八景が選ばれています。近江八景が一般的には知られていますが、南都八景は室町時代の「陰涼軒目録」という日記に書かれているところから近江八景より100年ほど古いとか。
その中には「佐保川の蛍」があげられています。今、桜並木でたくさんの人の目を楽しませた佐保川ですが、かつては蛍が舞っていたのですね。ちなみにほかの7つをご紹介しましょう。
東大寺の鐘、春日野の鹿、南円堂の藤、猿沢池の月、雲居坂の雨、轟橋の行人、三笠山の雪です。雲居坂という地名は現在ありません。県庁の交差点北東角の一角に「雲居坂」と刻んだ石碑がありますから、きっとあのあたり。京都へと向かうなだらかな坂が雲居坂だったのでしょう。で、雨。春雨、氷雨、夕立…。どんな雨のことなのか気になります。梅雨の頃のしとしとと続く雨だったのかもしれません。もうひとつ、はっきりしないのが轟橋です。轟橋も雲居坂の近くだといわれていますが、あのあたりの橋といえば吉城川にかかるものでしょうか。轟というくらいですから字のとおり馬車三台が通れる幅のある橋だと何かで読んだことがあります。今ならさしずめ三車線。轟橋の行人はよほど風情があったのか、轟橋が絵になる風景だったのか、今となっては想像をたくましくするだけ。
梅雨が明けると本格的な夏。今年は7月21日頃に梅雨が明けるという予報です。盆地の奈良の暑さは身体にこたえるほど。電気料金も値上がりするし、エコにも気をつけたいし、かといって熱中症はさけたいし。打ち水、すだれ、グリーンカーテンでの遮光などさまざまな取り組みが町全体で行われるようになりました。それでも暑い時はあまり我慢しないで扇風機やクーラーにも頼った方が良さそうです。
奈良にはさまざまな行事がありますが、7月といえば吉野金峯山寺の蛙飛び。この日は朝から大和高田奥田にある弁天池で蓮採りが行われます。弁天池は金峰山寺の開祖役行者が産湯をつかったといわれる清浄な池。ここで採った蓮の花を吉野の金峯山寺まで運びます。吉野山のロープウェイ駅で竹林院から下ってきた大きな蛙を乗せた太鼓台やこども神輿と合流。蔵王堂へと向かいます。この蛙は吉野山の故事にちなむものです。延久年間といいますから平安時代のこと。ある男が金峯山に登り蔵王権現や修験者に暴言をはきました。するとどこからともなく、大きな鷲が飛んできて男を掴むと断崖絶壁の上に残して飛び去ってしまいます。男は泣き叫んで助けを乞いますが、誰も行くことができません。すると、金峯山寺の高僧が呪文をかけ、男を蛙にしてしまったのです。蛙になった男はぴょんぴょんと跳ね、里へと下りることができましたが、さてさて蛙の姿ではと困り果て、金峯山寺へと向かいました。すると高僧が待っていて祈祷によって元の姿に戻ったのでした。
真夏の暑いさなか、蛙のぬいぐるみの中はどれほど大変なことか。参拝者が見守る中、跳ねながら本堂まで行き、祈祷を受けてぬいぐるみから出た解放感は、伝説の男と同じほどほっとするのではないでしょうか。
法会の後、境内では採灯大護摩が焚かれます。もくもくとあがる煙りが迫力満点。これが終わる頃、吉野のお山には夕風が立ち、暑かった一日が暮れ始まるのです。朝に採った蓮の花は本堂を一晩飾り、翌朝大峰山本堂に供えられます。
山伏たちによって蓮が採られ、吉野山まで運ぶという行事は華やかながら、どこかのどかでゆったりしています。お山では蛙と合流、ここからはユーモラスで賑やか。もりだくさんのお祭りは吉野ならではの風物詩。
蝉しぐれ、西日、西瓜と夏本番。その中に秋の気配がちらりと見えるのもこの月だから。
すっかり奈良公園の夏を彩る行事となったのが燈花会です。1999年から始まった行事は、歴史の深い奈良の新参者。でもすっかり奈良の夏に根付きました。奈良公園を舞台に2万本ものろうそくが揺らめく灯り、素敵な趣向ですね。奈良にはろうそくが似合います。今年も8月4日から14日まで。
同じ頃、春日大社では中元万灯籠。古くから奈良では春日大社の石灯籠と鹿の数を3日以内に数えたら長者になれるといわれてきました。石灯籠は風化してしかも苔むしたりしているから、森の中では見落としそう。鹿だってじっとはしていないし、時折座っている鹿は風景の中に溶け込んで見えなかったりしますから、数えるのは至難の業。まずは無理ということでしょうか。石灯籠は約2000基だといわれています。平安時代から現代にまで及ぶとか。石灯籠は本社の回廊の外側に立っていますが、釣灯籠は回廊内の諸社殿に吊るされています。これはほとんどが青銅製。石灯籠は商家や農家からの奉納ですが、釣灯籠は武家主体。火袋の文様は亀甲や網目、紅葉に鹿など。最も古いのは室町初期、藤原氏と縁があるという藤堂氏は慶長14年(1609)以来、毎年正月に奉納していたといいます。
朱塗りの社殿が灯籠の明かりを受けて一層雅に見えます。人の顔だって。「今宵会ふ人みなうつくしき」と詠った与謝野晶子の気持ちにうなづきます。
そうそう、平成27年には20年ごとのご造替が行われます。目下、春日大社では総力をあげて取り組まれています。造替とは本殿などをお造り替えすること。旧社殿と寸分たがわぬように。社殿を新しくすることで神様方は新によみがえり、若々しい力を発揮されるようになるというのです。その若い力で人々を守るのが大きな役目といわれていますが、それだけではありません。さまざまな技術がこのご造替によって受け継がれるという側面もあるのです。戦国時代へと突入するという時期、飢饉の時も幸せを求めて一層力を合わせて造り替えてきたと伝えています。
大震災の後、まだまだ困難が続く中でのご造替ですが、きっと大きな力となって人々を守ってくださることでしょう。春日大社では日々朝杯が行われ、大震災の鎮魂と復興が祈られています。祈りが届きますように 。