暮らしの歳時記 2月(如月)
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節分
 節分とは立春、立夏、立秋、立冬の前日のことです。旧暦では立春が正月にあたるところから、春の節分は特に重要視され、今では節分といえば春を指しますね。立春を新年とすれば節分のこの日は大晦日。一年の邪気を祓うために追儺の行事が行われるようになったのは奈良時代末からといわれています。宮中の追難会では黄金の四つ目を描いた面をつけた方相氏が霊木といわれる桃の枝で盾を打ちながら厄を払っていたといいます。四つ目というのは目の持つ気が邪気を祓い、四方を睨むからとの意味だとか。目比(めくらべ)という睨み合いも行われていたようで、子供の遊びにある「にらめっこ」はその名残ともかんがえられるようです。方相氏は、その異様ないでたちから、やがて鬼役を果たすようになっていったとか。鬼を追う役から鬼そのものになっていったというのも皮肉な話ですね。節分の“鬼追い”行事は各地で行われますが、京都の平安神宮では古式にのっとって大儺之(だいなの)儀(ぎ)が行われ、方相氏が登場します。迫力のある姿で登場し、厄を祓ってくれるのです。千年古都には魑魅魍魎も多いのか、神社やお寺ではさまざまな節分行事が行われます。有名なところではお酒を飲むユーモラスな鬼が登場する興福寺、境内の燈籠に火が入り、幻想的な雰囲気になる春日大社、14日には大松明に鬼が追われる長谷寺のだだ押しなど一度は参加してみたいものです。

  さて、節分で欠かせないのが豆まきです。「鬼は外」の掛け声と共に勢いよく豆をまくのは、大人にとっても楽しいことです。鬼を祓うのに豆が使われるのは穀物や果実には邪気を祓う霊力があると考えられていたからとも硬いからとも言われます。宮中行事はかつて陰陽五行に即して行われていました。硬いものは木火土金水の五行の中でいえば金。金属は火によって溶かされるところから「火剋金」と表現されます。豆を金に見立てると、火で処理されなければならないことになるのです。今でも生豆を使って拾い忘れ、芽が出ると良くないとの言い伝えが残っています。豆は鬼を祓う道具でありながら、鬼でもあるようです。鬼である豆も火で炒り、鬼を払えば厄を払う福になっていきます。年の数だけ食べると災厄が祓えるといいますから。物事は流れ、循環していくという東洋思想がここにも息づいているようです。
 いつもなら豆は炒り豆を買ってきますが、自分で炒ってみると、厄祓いの霊力も一層増すのでは、と探したのが焙烙です。焙烙にも皿形や急須形などがありますが、いずれも素焼の陶器です。素焼きの土器は火のあたりが柔らかで、豆が香ばしく仕上がります。浅炒りから深炒りまで好みに仕上げられるし、炒りたての香ばしさについ食べてしまいます。大豆だけでなく、コーヒー豆も自家焙煎できそうです。慌しい1日の中に豆から炒ってコーヒーを淹れてみるなんて、かなり素敵。湿気たお茶もこれで炒るとおいしい焙じ茶になるし、ゴマメなどの小魚もからりといい具合に仕上がります。
  気をつけたいのは濡れたまま火にかけないことだけ。工夫次第でさまざまな使い方が広がりそうですね。
  今年の節分はとびきりおいしい豆を用意して「鬼は外!福は内!」。一年の鬼を追い出して、年の数だけ豆を食べたら「春よ来い!早く来い!」ですね。
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お花屋さんでピンクのチューリップを買ってきました。窓辺に飾ると我が家にも春が来たみたい。
先日、友人の家で菜の花の酢味噌和えをいただきました。こんな気遣い嬉しいですよね。
毎日寒いですね。南の国や温泉への旅行パンフレットを見ては行くぞ、と掛け声ばかり。今度、一緒にいきましょうよ。
二月は如月。着て更に着るからというのが語源と聞きましたが、本当に着膨れています。
梅の木に花が咲き始めました。ついこの間までただの枯れ木だったのに、ちゃんと春は近づいているのですね。
2月4日が立春。寒さの中にほの見える春というところでしょうか。実感はまだまだ冬なのですが・・・。
東大寺二月堂ではお水取りの仕度が進められているのでしょうね。奈良に住んでいると行事で季節を感じられますね。
寒いだろうとカイロを背中に貼って行ったら、暖房がよくきいていて、暑いこと。剥がしたかったのだけど、手の届きにくいところで結局諦め、汗かいてしまいました。カイロは剥がしやすいところへ貼りましょう。
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