梅から桃、そして桜へ
今年は冬が寒かったせいで、梅の開花が遅れているようです。梅はもろもろの花にさきがけて咲くところから花の兄、春告げ草、匂草、香栄草、好文木などとも呼ばれるようです。好文木とは晋の武帝の「文を好めばすなはち開き、学を廃すればすなはち開けず」という故事からの名付けとか。菅原道真の飛梅も学問好きな道真のもとでこそ花を開きたいと筑紫までの道のりを飛んだのでしょうか。
奈良には数々の梅の名所がありますが、このごろ注目されているのが大和文華館の庭園です。
東洋美術の名品を収蔵することで知られる美術館の庭園は手入れが行き届き、学園前駅の近くながら、広々とした敷地は花の名所でもあります。ここの梅園は果実を目的としたものではなく、花の彩りでつくられていますから、とにかく美しいのです。
3月になるとはや桃の節句。雛とはもともと「小さなもの」と表す言葉です。遊びのための人形は神社などで人間の身代わりとして用いる「ひとかた」から変化したものだそうです。
平安時代の貴族文化の中では、宗教的な「ひとかた」とは違った幼い姫の遊び道具となっていました。雛には衣装や調度品など技を尽くした精巧なものが作られ、ままごと遊びを楽しんでいたのでしょう。
源氏物語の中にも雛遊びの様子が出てきます。幼い紫の上は源氏が整えた雛の御殿や調度を並べ、新年の参賀へ出かける源氏を見送ります。 雛祭は3月最初の巳の日に水辺へ出かけて穢れを祓うという「上巳の祓」と雛が結びついたもののようです。人間の穢れを人の形に切り抜いた紙や木に移して水に流すという風習は流し雛として地方に伝えられています。ままごと遊びの雛と「ひとかた」がいつごろむすびついたのか、定かではありませんが、現存する最古の雛飾りは南北朝中期から後期頃のものとみられる男女一対の木製座像だということです。内裏雛の原形でしょうか。鎌倉時代の末にはこうした雛飾りの風習があったようです。雛祭は桃の節句といわれるほど桃の花と深く結びついていますが、桃の木が霊木だからだと思われます。穢れを祓う上巳の意味を考えると納得がいきますね。古事記にはイザナギが黄泉の国からイザナミを救おうとして失敗し、逃げる時に桃の実を投げたと書かれています。神代の時代から桃には霊力があると信じられていたのですね。
桃の節句が終わるといよいよ桜前線が待たれます。沖縄から始まるこの前線の北上ほど人々の心を浮き立たせるものはありません。奈良には吉野という天下第一の桜の聖地があります。下千本から中、上と咲き上り、奥千本まで約一月、吉野は桜尽くしの山となるのです。吉野山では吉野葛のお菓子が並び、目にも口にも桜、桜。
中でも芳泉堂の「夢見の桜」は愛らしく、ほのかな甘さが口にほどけます。「夢見の桜」はその昔、天武天皇が大海人皇子だった頃、吉野へ逃れていたある日、満開の桜の夢をご覧になったそうです。占いによるとこれは吉兆。後に壬申の乱で勝利し、天皇となって吉野を訪れると夢の中と全く同じ桜が咲いていたそうです。その花があった所から桜本坊となったのだとか。この故事にならって作られた葛菓子が「夢見の桜」。吉野には桜一本にも深い歴史が刻まれているのですね。
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お雛様、今年も飾りましたか?段飾りが段々億劫になって、私はお内裏様とお雛様だけにしてしまいました。部屋に飾るには一刀彫りが便利だし趣があっていいなあ、なんて思っています。 |
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春の明るい陽が差すと、今まで気付かなかったカーテンのくすみが目立ちます。特にレースのが。今度の日曜日はカーテンのお洗濯をする予定です。 |
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ランドセルに上着を着せた下校の子供を見かけました。跳んだり走ったり、あれでは上着も要らないなあって見ている私はしっかりコートの襟立てて。 |
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お花屋さんで桃の花を買っていたら、上品なおばあさんが「菜の花と桃の花を」って。お店の人が「お孫さんに?」って聞くと「いいえ、私のために」って。思わず私も振り向いて3人でふふっと笑いました。素敵な人でしたよ。 |
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立雛を飾っていたら、友人がこれがいいわねえ、段飾りのお雛様は出すのも片づけるのも大変って。住宅事情もあるし、小さいのは嬉しい。 |
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