季語という季節を象徴する美しい言葉を作り上げた俳句。俳聖として近世文学に大きな足跡を残した松尾芭蕉は生涯で5回、奈良を訪れています。芭蕉の目に奈良はどのように映ったのでしょうか。季節を追いながら芭蕉の句をみていきましょう。
新緑に目を奪われているうちに季節は確かに夏へと移っていきます。爽やかで美しい5月は足早に過ぎ、早くも梅雨。5月末の頃、しとしとと降る雨は走り梅雨とも呼ばれます。6月上旬から7月中旬にかけての雨続きは日本と揚子江流域に特有の雨季だそうです。
この句は芭蕉27歳の時、伊賀から奈良へと訪れた際に作られました。奈良付近の情景だということですが、見馴河はどの川のことでしょう。瀬踏みする必要もないほどに降り続く雨。雨にとって見馴れてしまったほどの河という発想がいかにも若々しい感性です。 梅雨というのは梅の実が熟す頃に降る雨というところからの呼び名のようです。黴の発生しやすい頃というので黴(ばい)雨(う)の名もあてられます。古くは五月雨と呼ばれ、五月晴れは梅雨の晴れ間のこと。梅雨というのは江戸時代以降からといいます。 芭蕉の句で五月雨といえばまず思い浮かべるのは 「五月雨を集めてはやし最上川」 梅雨の初めはしとしとですが、終わりの頃には大雨や集中豪雨で鉄砲水が出て時には大きな被害を蒙ります。最上川もそんな雨で水かさが増し、ごうごうと流れているのですね。奈良で見た五月雨はしとしとと途切れることもなく降り続く感じがします。 「五月雨の降りのこしてや光堂」 これは岩手県平泉の中尊寺に残る光堂を詠んだものです。 蕪村には「五月雨や仏の花を捨てに出る」という句があります。しおれた仏様の花を捨てに出るというだけの句ですが、情景が目に浮かびます。 久保田万太郎には「うとましや声高妻も梅雨寒も」という句がありました。うるさいなあと思っても梅雨、しかも冷たい雨が降っているからぷいと外へ逃げるのも面倒。うとましいなあという感じがとても良く出ていますね。でもこんな句を詠まれたら、反論したいかも知れません。ただでさえうっとうしいのですから、家の中くらいはせめて爽やかに心がけるのがいいようです。 たしかに梅雨はじめじめとして早く明けないかと思いますが、この湿潤な気候が日本人特有の繊細なしっとりとした情感を育み、細やかな季節感を培ってきたのです。それにこの豊かな水の恵みがあればこそ、豊かな実りも期待できるのですから、少しは感謝もしましょうか。梅雨を快適に過ごす工夫、あなたはどうしていますか?いい知恵があれば教えてくださいね。