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2006年
9月 長月 暮らしの歳時記

写真:hiro873さん(ネップレギャラリー所蔵作品)
 

日中の暑さはまだ厳しいものの、9月になれば朝夕に秋の確かな気配が感じられます。夕焼けの雲の色、朝の空気のさわやかさ。夕日にしても真夏は最後の一条の光でさえ力がみなぎっていたのに、今はその気迫はありません。街路樹のプラタナスの葉には早くも黄色がかったものも目立ちます。9月の声を聞くと目に見えて夕暮れが早くなり、日一日と秋色を深めていきます。

 9月9日は重陽の節句。芭蕉は元禄7年、51歳の時に奈良を訪れていますが、丁度その節句の日だったのです。

 この有名な句はその折に詠んだものです。芭蕉は、大阪にいる門人同士の確執を仲裁しようと奈良から暗がり峠を越えて大阪へと向かったのでした。9月9日に奈良を通った芭蕉は他にも菊の句を残しています。「菊の香や奈良には幾夜の男ぶり」「菊の香にくらがり登る節句かな」それぞれの句は奈良のどのあたりで詠んだのでしょう。新暦ではまだ菊の花は咲きませんが、旧暦のことですから野辺にも咲いていたのでしょうか。町の辻に祀られている小さな祠にも菊が供えられていたのかも知れません。

 奈良町にある称念寺には「菊の香や奈良には古き仏たち」の句碑が立っています。古い町並みにしっとりと溶け込んだ寺は、寛永6年(1629)築造という本堂が美しい屋根の線を描いています。奥行きの深い境内には多くの石仏が安置され、この句そのままの情景なのです。

 芭蕉は大阪へ着いて発病し、床に着きます。10月10日には容態が急変、遺書をしたためました。その翌朝から食を断ち、香を焚いて漂泊の詩人は永遠の眠りについたのです。辞世の句は「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」。芭蕉51歳の秋でした。

 「菊の香や」の句には菊の花と匂い、そして時代を経た仏像の姿、静かな秋の日差しの中に鑑賞する人を誘う力があります。芭蕉も奈良時代のことに思いを馳せながら、奈良の町を歩いたのですね。いつの時代も奈良は人々の心をひきつける地だったのでしょう。ことに秋であればなおさらのこと。

  • 台風
  • 芋嵐:いもあらし
  • 桐一葉:きりひとは
  • 新涼:しんりょう
  • 芙蓉:ふよう

メールにもちょっと時候のあいさつ

庭で虫が鳴き始めました。昼間はまだ蝉もないているのに。季節の変わり目ですね。

薬師寺へ行ったら、玄奘三蔵院前に萩の花が咲いていました。開館の時ではないので人も少なく、秋だなあなんてちょっと感傷的になってしまいました。

空が青く、薄い雲が流れていかにも秋。ついこの間までもくもくとした夏の雲だったのに。季節の変わる時って何かノスタルジックになってしまいます。子供の頃のことなど思い出して。

空が青く、薄い雲が流れていかにも秋。ついこの間までもくもくとした夏の雲だったのに。季節の変わる時って何かノスタルジックになってしまいます。子供の頃のことなど思い出して。

9月って何か慌しい月だと思いませんか。まだ暑いのに真夏のものを着たり、夏のバッグを持つと季節に乗り遅れた感じがするでしょう。そんな風に身の回りを片付けたり、お月見やお彼岸だと思っている間に過ぎてしまうのよね。秋の日はつるべ落としって言うけど9月もそんな感じがします。今年はそんな9月にならないように心を引き締めましょう。

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