神無月、霜月、時雨月とも呼ばれる十月。
温暖化のせいか、奈良盆地あたりで十月に霜が下りることはほとんどありませんが、北の国からは初冠雪の便りも寄せられる頃です。空の雲も箒雲や鰯雲が高く浮かび、秋を実感します。爽やかに晴れた日は、心まで軽くなるような心地良さ。でも秋の空は変わりやすいといわれ、その譬えにされるのが「女ごころと秋の空」なんて言われたりします。でも本来は「男ごころ」。「女ごころ」は間違いだそうです。広辞苑で調べてもちゃんと変わりやすいもののたとえとして「おとこごころと秋の空」と記されています。ではどうしてこんな間違いがおこったのでしょう。一説にはヴェルディの歌劇「リゴレット」の中で“風邪の中の羽根のようにいつも変わる女ごころ」という歌が流行して以来、”男“と”女“が入れ替わったとのこと。男女いずれにしても心というものは変わりやすいものなのでしょう。
俳聖芭蕉の心はどうだったのでしょうか。女にうつつを抜かすなんてことはなく、ひたすら俳諧の道を歩み抜いた人といった印象がありますが・・・。
貞享1年(1684)芭蕉は秋の吉野を訪れています。
岩の間から流れる清らかな水で試みに浮世の汚れをすすいでみようか、という意味でしょうか。この句には前詞があります。
「西行上人の草の庵の跡は奥の院より右の方、二町ばかり分け入るほど、柴人の通ふ道のわずかにありて、険しき谷を隔てたる、いと尊し。かのとくとくの清水は昔に変わらずと見えて、今もとくとくと雫落ちける」
とくとくの清水とは西行が詠んだ“とくとくと落つる岩間の苔清水 汲み干すほどなき住まひかな」の歌による名前です。今も西行庵のあるあたりへは山道を歩いていきます。苔清水もやはり清冽な雫を絶え間なく流し、芭蕉が西行を偲んだ頃とさほど変わりがないのでは、と思われます。
西行への深い思慕に裏打ちされた芭蕉の句ですが、試みに浮世を濯ごうなんて、ほのかなおかしみも感じられます。今の我々からすれば、芭蕉も充分浮世離れしていると思われるのに、それでも濯ぐべき浮世があるなんて、という感じです。
春の桜の頃でさえ、奥千本の西行庵まで訪ねる人はそんなに多くはありません。まして秋、芭蕉一行以外には人もなく、風の音と鳥の声だけが響いている中、西行に心を寄せながら、芭蕉の胸には何が去来していたのやら。
桜紅葉の頃、西行庵へ出かけてみようかしら。
そうそう、芭蕉はこの時「木の葉散る桜は軽し檜木笠」の句も残しています。檜木笠を被って吉野へ入ると桜紅葉が軽やかに散りかかるというのですね。前詞には「暮秋、秋の紅葉見んとて吉野の奥に分け入り侍るに、藁沓に足痛く、杖を立ててやすらふほどに」と書かれています。吉野は何といっても桜。その春の絢爛たる桜を思いながら、散り行く桜を見ているのですね。木の葉を落とす桜に浮世のさまざまなことを捨てる姿を見たのかも知れません。枝にかかえる木の葉を落として軽くなる桜に自分の身を重ねたのでしょうか。だから浮世を濯ぐという言葉が口をついて出たのでしょうか。なおさら、秋の吉野へと心が誘われますね。
毎月28日には11時から「法燈の会」が行われ、蔵王堂で管長自らの祈祷とお加持を受けることができます。法要の後は管長のお話を聞き、昼食が振舞われます。一度参加しましたが、貴重な体験でした。
問い合わせは金峯山寺TEL.07463-2-8371
公園を歩くと芙蓉の花の横に芒が立って、虫がさかんに鳴いていました。秋ですね。
夕暮れ時、奈良公園を歩いていると牡鹿がキュイーンと鳴いていました。 悲しげな声でした。
朝夕、冷え込むと温かいものが恋しくなりますね。先日、急におでんが食べたくなって、おでんやさんへ。一番乗りの客でしたが、おでんにはしっかり味がしみ込んで美味でした。 ずっとぐつぐつ煮ているのでしょうね。
韓国へ旅行していた友人から国際電話。松茸買って帰るからすき焼きの用意していてだって。仲間を集めて準備万端のところ空港から真っ直ぐ松茸を持って帰ってきました。思う存分いただきました。今度は私が松茸買出しに行ってくるからその時は準備お願いね。
日暮れがめっきり早くなりました。何か急かされる気がします。夏の日が懐かしい。