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2007年10月 神無月

 那賀郡の曝井の水が絶えず湧き出ているように、私も通っていこうと思います。そこに恋人がいればいいのだけど。

 歌の題詞には那賀郡の曝井と書いてあり、当時の常陸国、現在の水戸市愛宕町滝坂の泉だろうといわれています。三栗は栗の実がいがの中に通常三個ほど入っていることからくる枕詞です。栗の中に向かい合っている実のような那賀の曝井の湧き出る水、というところでしょうか。向かい合った栗の実と泉とのつながりに、万葉人の想像力の豊かさが思われます。「もが」はこうであって欲しいという願望を表しており、いとしい妻(恋人)がいれば絶えず通い続けるのにという意味になります。

 瓜を食べると子どものことが思い出される、栗を食べるとなおさらしのばれる。子どもというのはいったいどこから来たものやら。目にその姿がうかんで、ゆっくり寝ていることもできない。
  栗といえばまずこの歌を思い出す方も多いことでしょう。山上憶良は渡来人だといわれています。その歌の返歌が有名な「銀も黄金も玉もなにせむに 優れる宝子にしかめやも」です。憶良が子どもを慈しむ歌を作ったのは60歳頃からだといわれています。筑紫に赴任した時に作ったといわれるこの歌も66歳頃だったとか。そのことから、これは実際の歌ではなく、憶良の豊かな人間性から作られた想像の歌という説もありますが、どうでしょうか。これほど切々と子どものことを歌ったのはやはり実感があればこそという気がしてなりません。
  栗は縄文時代、すでに栽培していた可能性もあるようです。堅果類の中では風味もよく、団栗のようなアクもなく、大変美味です。三内丸山遺跡から出土したした栗のDNA分析によると優良な種類を選んで栽培していたとか。日本古来の栗はシバ栗。古代の人々が好んだ栗は今も変わらず食卓にのぼる秋の味覚の代表です。丹波の栗はことのほかの美味として知られていますが、奈良時代から丹波国は栗の産地でした。
  今年の夏は酷い暑さでしたが、栗の生育にはどんな影響を与えたのでしょうか。豊かに実っていることを願うばかりです。栗にはビタミン類がバランス良く含まれ、五穀で摂取できなかいカルシウムを補うことができるそうです。ただ、消化吸収が穀物のように良いわけではありませんから、くれぐれも食べ過ぎには気をつけましょう。
  栗はまた木材としても利用されてきました。群馬県の下田遺跡から出土した縄文時代の木製品は山漆が一点あったほかは全て栗材だったようです。三内丸山遺跡からは栗の巨木が建築用材として出土して、ニュースになりました。
  当時の環境は今とは違って、栗も巨木に成長していたのでしょうか。そういえば、吉野金峯山寺の蔵王堂には、杉や欅のほかに梨、躑躅の巨木が秀麗な屋根を支え、堂内は修験本宗の本山ならではの森厳な雰囲気です。梨や躑躅も巨大に育つ環境だったということですね。
  秋の味覚に舌鼓を打ちながら、憶良の子どもを思う心に寄り添い、環境に思いを馳せましょう。命をつないでくれた栗に感謝しつつ。

  • 秋の七草

メールにもちょっと時候のあいさつ

公園を歩くと芙蓉の花の横に芒が立って、虫がさかんに鳴いていました。秋ですね。

夕暮れ時、奈良公園を歩いていると牡鹿がキュイーンと鳴いていました。悲しげな声でした。

朝夕、冷え込むと温かいものが恋しくなりますね。先日、急におでんが食べたくなって、おでんやさんへ。一番乗りの客でしたが、おでんにはしっかり味がしみ込んで美味でした。ずっとぐつぐつ煮ているのでしょうね。

韓国へ旅行していた友人から国際電話。松茸買って帰るからすき焼きの用意していてだって。仲間を集めて準備万端のところ空港から真っ直ぐ松茸を持って帰ってきました。思う存分いただきました。今度は私が松茸買出しに行ってくるからその時は準備お願いね。

日暮れがめっきり早くなりました。何か急かされる気がします。夏の日が懐かしい。

夏の間中断していた散歩を再開しました。ただ歩くだけなのに体に効くとはね。いかに運動不足か…。今度空気のいい風景のきれいなところ歩きましょう。

早くも十月。あっという間にクリスマスが来そう。地球の自転も公転もこの頃早くなったのではないかしら。炎暑のあとは限りなく暑い残暑、相次ぐ台風に地震まで。気候も世の中もどうしたのでしょうね。

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