いくつもの峰にたくさんの椿がつらなって咲いている様子は、みていても飽きることがありませんね。これを植えたというあなたはまるでこの椿のようです。
宴に招かれた家持がその家の主人への挨拶として詠んだ歌です。“つらつら”と“椿“といえば「巨勢山の つらつら椿つらつらに 見つつ 思(しの)はな 巨勢の春野を」(坂門(さかとの)人足(ひとたり) 巻1-54)という歌が有名ですね。”つらつら椿つらつらに“というリズムは語調がよく、点々と連なって咲く椿が目に浮かびます。万葉学者の犬養孝先生の朗々たる声が思い出されます。巨勢山とは御所市から五條市、紀和の国境の山のことで、古くから椿の多いところだったようです。今でも藪椿が処々に見られます。近鉄吉野口駅の北にある御所市古瀬には巨勢寺跡があり、塔の芯礎が残っていますが、ここにも真っ赤な藪椿が咲いていたことを覚えています。今も咲いているのでしょうか。
“つらつら”と“椿”で歌を作った人はほかにもいます。春日蔵首(かすがのくらおび)老(と)は宮廷に仕える官人で曾我川の上流を通った時、「川上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は」(巻1-56)と歌っています。「つらつら椿 つらつらに」は宮廷人の間で評判になったフレーズだったのでしょう。巨勢路と椿は歌によって強く結びつけられ、「つらつら椿」といえば巨勢路、巨勢山というまるで歌枕のようになっていたのかも知れません。
家持は当然坂門人足や春日蔵首老の歌を踏まえて詠んでいるのです。椿を植えた庭は築山風だったのでしょうか。そんな庭を見ながら、巨勢山の椿と同じように、見ていても飽きませんね、と賞賛しているのですね。居並ぶ人々はこの歌にやんやの喝采を送ったことでしょう。当意即妙に歌う家持のセンスはなかなかのものです。
日本語の椿の語源は諸説があります。貝原益軒(1630〜1714)の「日本釈名」によると「厚(あつ)葉(ば)木(き)」がつまったものといい、新井白石(1657〜1725)は「艶(つや)葉(ば)木(き)」がつまったものと言っています。ほかには朝鮮語では椿のことを冬柏(ton-baik)といい音がそのまま伝わったとの説もあります。椿は古くから霊木として魔よけなどに使われたようですが、中国にある霊木「椿(チュン)」はセンダン科で日本の椿とは種類が違うとか。荘子の逍遥遊篇には「上古、大椿なる者あり。八千歳を以って春と為し、八千歳を以って秋と為す」とあり、伝説上の大椿を指すようです。ここから椿と長寿が結びつき、「椿寿」の言葉も生まれました。
古代、椿は海石榴、都婆岐などと表記され万葉集にも記されています。中国にある霊木椿の伝説が実際の植物より先に日本に伝えられ、ツバキに「椿」の字を与えてしまったのかも知れません。だから、表記は海石榴の字を使い、霊木の伝説が結びつけられていったとも考えられるのです。
椿の花は冬の山野を彩ります。茶人にとっても重要な花で、11月の炉開きには必ず椿が用いられるとか。花が首から落ちるので縁起が悪いと武家では嫌ったともいいますが、椿は花だけではなく、実から油を採り、樹木の灰汁は草木染の焙染剤として欠かせません。灰は漆器を研ぐ材としても使われます。椿は暮らしの中に重宝された樹木だったのですね。
科学者で随筆家としても知られる寺田寅彦は熊本五高の時、師となる夏目漱石と出会います。漱石の「落ちざまに虻を伏せたる椿かな」という句で友人と議論をしたそうです。椿の花が伏せて落ちるのか、上を向いて落ちるのかということで。結局、椿の木が低ければ伏せて落ち、高ければ仰向けに落ちることが分かって、漱石の句が実景の句で鋭い観察をしていたと感心するのです。いかにも科学者らしい疑問ですが、時間をかけて解明したのもすごいことだと思います。十七文字の中のドラマですね。いよいよこれからが椿の季節。東大寺開山堂の糊こぼし、白毫寺の五色椿、伝香寺の散り椿という大和三名椿をはじめ、野山の素朴な藪椿も楽しみです。コートの襟を立て、巨勢のつらつら椿を訪ねてみましょうか。
もう12月、時間が加速度をつけて過ぎていく感じです。
クリスマスと聞いて“焦るなあ”と感じるようになったのはいつからかしら。プレゼントを貰う方からあげる方になった時から・・・かな。
一度くらい新年を旅先でと思うのですが、家でのお屠蘇も捨てがたく、やはりお節料理の買い出しをすることになりそう。
先行きが見えない世の中だけに育てた花が咲いたりすると、とっても嬉しくなります。来年はもっとガーデニングに力を入れよう。
年賀状の準備できましたか?パソコンで作るか木彫りにするか迷っているうちに日が過ぎる!
帰り道、空を見上げたらオリオン座が輝いていました。オリオンの右肩にあるオレンジ色の星はペテルギウスでしたよね。星座の授業を思いだしました。
温暖化っていわれるけれど、やっぱり冬は寒いですね。特に朝が辛いです。
奈良公園を通りかかったら、人気のない芝の原を鹿がとぼとぼ歩いていました。ついこの間まで多くの観光客にせんべいをもらっていたのに。冬ですね。