新しい年を迎えた今日雪が降り積もっている。この雪のように良き事がかさなりますように
万葉集の最後の歌として知られる家持の歌です。
天平18年(746)の正月、平城京は一面の雪景色だったようです。「十八年の正月、白雪多く零(ふ)り地に積むこと数寸。時に左大臣橘卿中納言豊成朝臣と諸王諸臣とを率(ゐ)いて太上(おほき)天皇(すめらみこと)の御在所、中宮西院に参(ま)入(い)りて供(つか)へ奉りて雪を掃(はら)ふ。是に詔して大臣参議また諸王をば大殿の上に侍(さもら)はしめ、諸卿大夫をば南の細殿に侍はしめて酒賜ひて肆(とよの)宴(あかり)す。勅したまはく、汝諸王卿等、此雪を賦(よ)みて各其歌を奏せしとのたまへり」と書かれています。左大臣橘諸兄は、弟で右大臣の豊成など一統を率いて先の天皇、元正女帝の御在所である中宮の西院へ新年の祝賀と雪のあいさつを込めて伺ったのです。その時の宴で雪のことを詠むことになりました。巻17-3924にこの時紀朝臣男梶は「山の峡そことも見えず一昨日も 昨日も今日も雪の降れれば」と歌っています。奈良山の山の峡まで見分けがつかないほど一昨日も昨日も、そして今日もまた降っているからというのです。その中で家持は「大宮の 内にも外(と)にも光るまで 降れる白雪見れど飽かぬかも」(巻17-3926)と詠みました。雪は豊作の兆しとして喜ばしいものです。雪の降り積む様子に女帝の徳を重ねて称えたのですね。
万葉集全4516首のうち、最も多く歌を残しているのは家持で479首、坂上郎女84首、柿本人麻呂84首、大伴旅人78首、山上憶良76首の順です。家持の歌数は群を抜いています。万葉集の編者ではないかともいわれる所以でしょう。
家持は旅人の子で少年時代を大宰府で過ごしたようです。父が50歳を過ぎてから生まれたこともあり、父とは早く死別、叔母の坂上郎女に育てられました。壬申の乱後、大伴氏は黄金時代を迎えますが、藤原氏の台頭とともに権力抗争に巻き込まれたり、人生の浮沈を繰り返したようです。
それから13年後、左遷されて因幡の国守として赴任した正月に歌ったものです。13年間のさまざまな思いを込めながら、言霊によることほぎを尽くしたのです。これ以後家持は公には歌を残していません。
万葉集最後の歌は、ひたすらめでたく、良きことを願う新年らしいものです。同じ雪を詠みながら、華やかな平城京と因幡の雪深い国ではどんな感慨があったのでしょう。
温暖化で雪を見ることは本当に少なくなりました。万葉集の時代は奈良山の谷をも埋めて雪が降り積もったのですね。白く清らかな雪だったに違いありません。政治、経済、地球規模の環境など問題山積ですが、新しい年には、なにかしら明るい兆しが見える気がしますね。雪のひとひらほどの効果しかなくても自分にもできることで、社会を少しでも良きものにしていきたいものです。
12月31日と1月1日、たった一日の違いなのに家の中も町も何か雰囲気がちがって見えるのはなぜでしょう。やはり改まった気分になってしまいます。
寒い日が続きますが、陽射しはちょっとはるめいてきましたね。何か明るい感じがします。
早朝、しっかり着込んで散歩しています。朝日が気持ち良く、元気が出そう。今度一緒に歩きませんか。
初詣の長い行列に並んですっかり疲れました。でも、毎年の行事ってなかなか止められません。こうして、今年もお参りできたのが幸せってことでしょうか。
お正月はどんな風に過ごしましたか?我が家は食べては寝ころび、羊年なのにすっかり丑になりきっていました。
温暖化っていわれるけれど、やっぱり冬は寒いですね。特に朝が辛いです。