霜月、神楽月、神帰月、雪待月などの異名を持つ11月。温暖化のせいで、霜が降りたり、今にも雪が落ちそうな空という実感はありませんが、風情のある名前はやはり残しておきたいものです。神楽月というのは、秋祭りのお神楽がそこここから聞こえてきそうです。小さな集落で思いがけず秋祭りに出会うことがあります。こじんまりとした神社の境内にお神輿が一台。ハッピ姿の子どもや大人が集まっていました。大きなお祭とはちがって観客はいません。集う人みんなが祭りの担い手です。本来祭りとはこんなものだったのだろうと何やら懐かしくなりました。神社の上座に座っているのは、土地の長老たちで、中年のお父さんは何事もお伺いを立てている様子。子どもたちは嬉しそうにはしゃいでいますが、そんな姿をちゃんと見ているのではないでしょうか。日ごろは家でのんびりするだけのお年寄りですが、行事の采配はさすがに年の功というわけです。一年に一度であっても老人力を発揮する機会があれば、子どもたちは尊敬の念を育むことができるのではないでしょうか。
新興住宅は何事も合理的ですが、こういった機会はなかなか作ることができません。伝統的なお祭りは地域のコミュニケーションの場だけではなく、それぞれの年齢によって果たす役割があることを実感する場でもあるようです。そのあたりがイベントとの違いでしょうか。
芭蕉の故郷伊賀上野にも有名な秋祭りがあります。芭蕉とのかかわりはどんなものだったことでしょう。
吉野の宿坊での作と伝えられています。碪は砧のこと。砧はキヌイタの略といいます。布を柔らかく、艶を出すために石の台に載せ、木の棒で打ちますが、冬の衣を打つところから砧打ちは秋の季語です。芭蕉が貞享1年に吉野へ行った時、宿坊で砧打つ音を聞いたのでしょう。坊が妻とは吉野山入り口の町家の妻という説と宿坊の妻という説がありますが、やはりここでは宿坊の妻という方がしっくりとくる感じがします。吉野は修験道の山。修験道は在家の仏教者ですから、妻がいても不思議ではありませんから。
芭蕉がこの句を作る時、新古今集の「みよし野の山の秋風小夜更けてふるさと寒く衣打つなり」(参議雅経)を踏まえていたのだろうといわれています。近づく冬、夜なべ仕事の砧打ちの音。秋風が身に染み、寂寥感を湛えます。砧といえば世阿弥の能にもある題材です。長年、帰国しない夫を慕う妻は砧を打ちながら慰めていたものの、ついには亡くなってしまう。しかし、死後も妄執に苦しむという哀しい女の物語。芭蕉は砧打つ音にさまざまなことを思いながら作ったことでしょう。
11月の吉野山は桜紅葉に彩られて美しい季節です。はらはらと散る桜の葉は花とは違った華やかさと風趣を味わせてくれます。
正倉院展が始まりました。朝から行列ができていました。紅葉狩りと展覧会なんて、秋の奈良ならではです。
日暮れが早くなって、何か気持ちが急かされます。一日が短くなったみたいで。
炬燵や鍋物が恋しい季節ですね。
暖かいのがご馳走。はや、そんな季節になりました。
ベランダに出していた鉢植えを部屋に入れ、炬燵も出して、冬仕度も準備完了。
この頃、夕食メニューに鍋料理が多くなりました。何たって暖まりますよね。
一年がだんだん早くなる気がします。 北から南へ、山から里へと秋が絵筆をふるっていきます。今年の紅葉はどんな具合でしょう。鍋ものが恋しい季節です。