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2006年
12月 師走
暮らしの歳時記
 

 古い商家の柱に架かった大判の日めくり。お洒落なカレンダーを見慣れた目には、商店名も大きく印刷された日めくりが何やら懐かしく見えました。大安、仏滅といった六曜、干支、冬至などの二十四節気に旧暦も書き込まれています。新年にはさぞ分厚かったであろう暦もこの季節には残り少なく、いよいよ年末との感触を新たにします。
季節感が薄れたとはいえ、さすがに年末ともなれば、年賀状の準備、クリスマスプレゼント選び、大掃除から年越しの仕度と何やら忙しいものです。追い討ちをかけるように、日照時間も極まってくる12月。日暮れと競うように用事を片付けるにはつい走ってしまうところから師走なんて呼び名も出てきたのでしょう。日ごろは落ち着いた師と呼ばれる人でさえ走り出すのですから、俗人が駆け回るのは仕方もないことですね。

 今年の初雪は12月のうちなのでしょうか。地球の温暖化で冬の厳しさが薄れ、雪を見ることも少なくなりました。芭蕉が奈良の大仏を見たのは元禄2年ですから1689のことです。
  大仏殿は大仏の鋳造が終わった天平勝宝元年(749)頃から建設が始まり、開眼供養が行われた天平勝宝4年には未完成だったようです。完成したのは天平勝宝9年、聖武天皇一周忌だったのではないかと推定されています。歴史の荒波の中で大仏殿は二度の炎上という被害を受けました。最初は治承4年(1180)でこの時は建久6年(1195)に再建されましたが、永禄10年(1567)の焼失後は再建されるまで125年かかっています。125年後というのは元禄5年ですから、芭蕉が訪れた時、大仏は初雪に晒されていたのですね。いつ大仏殿の柱が立つだろうと眺めていた芭蕉もまた初雪の中。大仏開眼法要の華やかな時代に思いを馳せながら、雪を受ける野ざらしの大仏を芭蕉はどんな思いで見つめたのでしょうか。
  この句の3年後には公慶上人の尽力によって大仏殿が完成、空前の奈良ブームが起こります。完成した大仏殿を芭蕉が訪れたのかどうか。句としては残されていないようです。古いわらべうたに「奈良の奈良の大仏さーんは天日に焼けて」と歌っています。夏の日差しに焼けているというのですが、初雪と大仏の取り合わせ方が俳句としては詩情に富むようです。
  雪の句では去来の「おうおうと言へどたたくや雪の門」があります。“おうおう”と中から返事をしているのに、それをも待てずに門をたたいているのです。その寒さが伝わってきますね。早く、早く開けて、中に入れてと急かしているのが目に浮かぶようです。

  「降る雪や明治は遠くなりにけり」という中村草田男の句も良く知られています。今なら“昭和は遠くなりにけり”というところでしょうか。


写真:hiroshiさん
(ネップレギャラリー所蔵作品)

今年の雪は豪雪地帯でも災害にならない位、ほどほどであるようにと祈るばかりです。
  師走の奈良は春日若宮おん祭、正暦寺冬至祭、唐招提寺や薬師寺のお身拭い、そして各寺院の除夜の鐘と粛々として新年までの行事が続きます。慌しい日々の中に少しの時間を作って寺社の行事を垣間見ると、悠久の時間の中に生きていることが実感できるかも知れません。そして、必ず良いお年をお迎えくださいますように。

  • 年の市
  • 沢庵漬け
  • 大根

メールにもちょっと時候のあいさつ

もう12月、時間が加速度をつけて過ぎていく感じです。

一度くらい新年を旅先でと思うのですが、家でのお屠蘇も捨てがたく、やはりお節料理の買い出しをすることになりそう。

札幌へ行ってきましたが、クリスマスの似合う町ですね。奈良が似合うのはお正月かしら。

先行きが見えない世の中だけに育てた花が咲いたりすると、とっても嬉しくなります。来年はもっとガーデニングに力を入れよう。

クリスマスと聞いて、えーもう!なんて思うようになったのはいつからでしょう。若い頃はあんなに楽しみだったのに。プレゼントをもらう方からあげる方になったがその分かれ目でしょうか。

帰り道、空を見上げたらオリオン座が輝いていました。オリオンの右肩にあるオレンジ色の星はペテルギウスでしたよね。星座の授業を思いだしました。

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