二月は極寒の月ながら日差しには春の力を帯び、日脚も伸びてきます。彩りの無い季節に、梅の枝に白や紅の蕾が膨らんでいく季節です。そうそう、蝋梅の黄色もありました。
梅はもろもろの花にさきがけて咲くところから、花の兄、春告げ草、匂草、香栄草、好文木とも呼ばれます。好文木というのは晋の武帝が「文を好めばすなはち開き、学を廃すればすなはち開けず」という故事からの名付けといわれています。菅原道真が大宰府に流された時、梅の木が道真を慕って筑紫への道を一気に飛んだという飛び梅伝説も、学問好きの道真ならではのこと。
梅の香りは凛然として寒風の中に漂い、心を捉えます。以前、匂いには色があると話していらっしゃいました。“におう”は“みほふ”で“丹穂ふ”なのだというのです。丹は赤い色のことで、穂先が赤みがかっているということ。そういえば、梅も桜も咲き始める前の枝先はほんのり赤らみます。「朝日に匂う」というのは朝日の中で匂いがするというだけではなく、花の色さえ思わせることのようです。香りとの違いは匂うには色が含まれていることになります。
そんな梅を芭蕉はどんな句に残しているのでしょうか。
この句は貞享2年(1685)當麻町竹之内を訪れた時に詠んだものです。竹之内には明石玄随という医者がいて、その住居を一枝軒と名付けていました。文人でもあった玄随への挨拶として詠んだ句といわれています。梅の花が四方に匂い立って木の存在がおのずと知られるように玄随の名声も広がることであろうという意味でしょうか。一枝とは一枝軒を指すとともに、玄随の庭にあった梅の木のことで、この木にはみそさざいが巣を作っていたようです。みそさざいは雀に似た色で竹やぶなどにいますが、形はずっと小さく、最も小さな鳥のひとつといわれています。この鳥は体に似合わず大きくきれいな声で鳴くとか。たった十七文字の中にさまざまなことを詠みこんだ句で、玄随はどれほど喜んだことでしょう。
奈良が舞台ではないのですが、芭蕉の梅の句をご紹介。
“暦の上ではすでに春となっているものの、寒さは厳しい。それでも月はおぼろに、梅もほころび出して、やや春の景色を整えてきたようだ”というような意味でしょうか。二月はかすかな春の気配にも敏感になる月ですね。
梅で有名な月ヶ瀬に苔むした句碑として残されています。まるで月ヶ瀬で詠んだかのような句だと思います。
“梅の木が続く山路を歩いてきたら、向こうから朝日がのっと出てきた”というだけの句ですが、なんとも伸びやかな雰囲気と「のっと」という表現の軽さ、おもしろさ。晩年の芭蕉ならではの表現です。
この句は宇陀市榛原区の宗祐寺に句碑が立っています。
二月、寒さの中にきざす春を探しに出かけてみましょう。近くの公園にだってひそんでいるはずですよ、きっと。
お花屋さんでピンクのチューリップを買ってきました。窓辺に飾ると我が家にも春が来たみたい。
先日、友人の家で菜の花の酢味噌和えをいただきました。こんな気遣い嬉しいですよね。
二月は如月。着て更に着るからと言うのが語源と聞きましたが、本当に着膨れています。
梅の木に花が咲き始めました。ついこの間までただの枯れ木だったのに、ちゃんと春は近づいているのですね。
2月4日が立春。寒さの中にほの見える春というところでしょうか。実感はまだまだ冬なのですが・・・。
東大寺二月堂ではお水取りの仕度が進められているのでしょうね。奈良に住んでいると行事で季節を感じられますね。