今年は暖冬でスキー場や札幌雪祭りに肝心の雪不足が深刻な問題となっているようです。動植物への影響も心配されていますが、やはり春の訪れは待たれるものです。
大和の春を開くのは何といっても東大寺二月堂のお水取り。お水取りは行事の代名詞としてすっかり定着していますが、旧暦2月の行事であることから修二会の名で呼ばれます。正式には「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、十一面観音の前で日ごろの過ちを懺悔し、天災や厄病、戦、病といった災難を除き、国家の安泰と五穀豊穣、万民法楽を祈るもの。
お水取りの行は東大寺の開山である良弁の高弟だった実忠が天平勝宝4年(752)に始めました。以後、今日に至るまで一度も欠かすことなく行われている東大寺を代表する行事です。行に参加する僧侶は練行衆と呼ばれる11人。役割が決められた練行衆は厳しい戒律のもとで14日間の激しい行に取り組むのです。
練行衆は毎夜、松明を道あかりとして二月堂に上がります。これが「お松明」。1日から14日まで毎日松明が上がりますが、3月12日には籠松明という他の日よりも大きな、直径1mを超える松明が用意されます。燃え盛る大松明は二月堂下から登廊を上がり、欄干から振られると紅蓮の炎は火の粉となってこぼれます。夜空を焦がして燃える松明の炎は冬を払い、春を招くにふさわしい華やかで美しいものです。
日によってさまざまな行法が二月堂の堂内では繰り広げられるのですが、「お水取り」は12日の深夜の行。二月堂下にある閼伽井屋(あかいや)の井戸からお香水(こうずい)を汲み上げ、十一面観音に供える儀式です。お水取りに続いて行われるのが達陀(だったん)。人々の煩悩を焼き尽くすために八天に扮した練行衆が燃える達陀松明を堂内で打ち振るのです。激しい火の行の舞台が国宝の堂内というのですから、目を疑ってしまいます。
芭蕉は貞享2年(1685)2月、奈良へ来て二月堂へ籠もっています。42歳のことです。お水取りは一度も絶えていませんから、芭蕉は934回目の時だったのですね。ちなみに今年は1256回目。「のざらし紀行」には
と書かれています。“氷の僧”は“こもりの僧”とも伝えられていて、さまざまな論争の的にもなってきました。氷の僧では意味をなさないからこもりの僧をこおりの僧と聞き違えたと言う説もありますが、芭蕉の真筆には氷の僧と書かれているし、自分でも籠もるほどだから、こおりとこもりを聞き違えることはないだろうとも言われます。
322年前の二月堂はいかに旧暦とはいえ今よりも寒かったのではないでしょうか。しんしんと冷える深夜の堂内では、厳しい行に取り組む僧の姿を氷の僧と表現した方がしっくりとくる気がします。籠りの僧では分かりやすいかもしれませんが、常識的に過ぎると思うのですが、いかがでしょうか。
お水取りに行き、お松明が上がるのを見るとその後にタッ、タッ、タッ、タッタッタッ、タタタタタと序破急の沓の音が聞こえてきます。歌舞伎などでも聞く独特のリズム、序破急は日本人の美意識をなしているといわれます。茶道でも序破急のリズムでお点前が進められるとか。芭蕉が見たり聞いたりしたそのままの姿で今年のお水取りも行われます。
練行衆の方によると、暖冬の方が体調を崩しやすいと聞きました。足元から冷気が這い上がってくるほどの寒気がこの時期に来ることを願いましょう。氷の僧の姿を垣間見たいものです。
芭蕉シリーズは今回で終わります。4月からは新しい歳時記になる予定です。どうぞお楽しみに。
「お雛様、今年も飾りましたか?段飾りが段々億劫になって、私はお内裏様とお雛様だけにしてしまいました。部屋に飾るには一刀彫りが便利だし趣があっていいなあ、なんて思っています。」
「春の明るい陽が差すと、今まで気付かなかったカーテンのくすみが目立ちます。特にレースのが。今度の日曜日はカーテンのお洗濯をする予定です。」
お花屋さんで桃の花を買っていたら、上品なおばあさんが「菜の花と桃の花を」って。お店の人が「お孫さんに?」って聞くと「いいえ、私のために」って。思わず私も振り向いて3人でふふっと笑いました。素敵な人でしたよ。
立雛を飾っていたら、友人がこれがいいわねえ、段飾りのお雛様は出すのも片づけるのも大変って。住宅事情もあるし、小さいのは嬉しい。